アメリカの新聞記者
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アメリカの新聞記者、ジョン・ガンサーは「ソ連印象記」の結論として、「世界市民でない」といふことと、「きは立つた矛盾の生活」をあげてゐる。こゝにあげた、をかしな、阿呆らしい、憤らしくて腹も立たないような、いろゝの話しは、この二つの性格の産物かもしれない、そしてそれは今ではソ連だけでなく、世界に流布してゐる一つの戦後型で、戦後とはさういふ型の濃厚なものが世にはびこつてゐる時代かと思はれる。このガンサーの旅行記は、冷静にソ連の国情を描き、主観的な批判は殆どない。むしろ好意にみちてゐる。そしてソ連の政府とソ連人が、全然別個の性格のものだといふことを云ってゐる。その政府は「嘘つきで、嫌悪すべきもの」であるのに、「人民は驚くほどに人間味のある国民だ」と云ってゐる。そしてそのあとにガンサーは「しかし私としては、もしソ連の制度が、まあデンマークのやうな国に輸出されるのを防ぐために必要といふなら、喜んで死ぬだらう」と云ってゐる。
私はこの文句に非常に衝撃を受けたのである。ガンサーの主義主張や考へ方に共鳴したわけではなかつた。私は戦前から無数の正義の青年を知つてゐた。彼らは正義のために死を恐れなかつた。国の革新革命のために血を流さなかつた例はないといつて、まづ己一人死を志願したやうな青年を多数に知り、多数に死なせてゐる。しかしガンサーはそつけなく、むしろ軽々しくデンマークのやうな国のために私は死んでもよいと云つてゐる。この文句を読んだ時、私は久しぶりに思ひもよらぬものにぶつかつた気がしたのである。私はアメリカが戦ふ資格をもつてゐることをありゝと知つた。私は日本の新聞で、かういふ記者の文章にふれた例がなかつた。私は、日本の新聞がアメリカに敗けたのは、機構や資金の点でないと思ふ。私はこのアメリカ人の素直さは、多数のアメリカ人の共通性と思つた。日本の新聞人の口にし得ない真剣と思つた。必ずしも、日本が敗れた因をこゝに見たといふのではないが、ある種の衝動をうけたことは事実である。それはさはやかに淡々と聞えた。少しの脅迫がましさもない。威張りも、扇動もない、日常心のやうだ。私はこゝからアメリカの普通の新聞記者の心術を想像して、心にこたへるものを味わつたのである。
「天魚」昭和三十三年八月号 保田與重郎
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この話を読んで、私もすごいと思った。そしてやっぱりまねできないと考えた。日本のためにすら躊躇する私にはなかなかw
しかしこのスカッと明るい正義感は、正直うっとうしいとも思う。大東亜戦争の時のアメリカ政府にこの正義感があったとは思えない。が一般アメリカ人にはあったのだろう。これは同時に日本にも言えることだと思う。あの頃の大多数の日本人はアジアのために戦った。それが同時に日本のためでもあったからだが、大東亜戦を戦わないということはアジアを見捨てるということだった。一部に日本政府・軍部の汚い部分があったとしても根にあるものは正義感だった。
でもこの話を、気持ちの片隅に覚えておきたいと思う。
アメリカの新聞記者、ジョン・ガンサーは「ソ連印象記」の結論として、「世界市民でない」といふことと、「きは立つた矛盾の生活」をあげてゐる。こゝにあげた、をかしな、阿呆らしい、憤らしくて腹も立たないような、いろゝの話しは、この二つの性格の産物かもしれない、そしてそれは今ではソ連だけでなく、世界に流布してゐる一つの戦後型で、戦後とはさういふ型の濃厚なものが世にはびこつてゐる時代かと思はれる。このガンサーの旅行記は、冷静にソ連の国情を描き、主観的な批判は殆どない。むしろ好意にみちてゐる。そしてソ連の政府とソ連人が、全然別個の性格のものだといふことを云ってゐる。その政府は「嘘つきで、嫌悪すべきもの」であるのに、「人民は驚くほどに人間味のある国民だ」と云ってゐる。そしてそのあとにガンサーは「しかし私としては、もしソ連の制度が、まあデンマークのやうな国に輸出されるのを防ぐために必要といふなら、喜んで死ぬだらう」と云ってゐる。
私はこの文句に非常に衝撃を受けたのである。ガンサーの主義主張や考へ方に共鳴したわけではなかつた。私は戦前から無数の正義の青年を知つてゐた。彼らは正義のために死を恐れなかつた。国の革新革命のために血を流さなかつた例はないといつて、まづ己一人死を志願したやうな青年を多数に知り、多数に死なせてゐる。しかしガンサーはそつけなく、むしろ軽々しくデンマークのやうな国のために私は死んでもよいと云つてゐる。この文句を読んだ時、私は久しぶりに思ひもよらぬものにぶつかつた気がしたのである。私はアメリカが戦ふ資格をもつてゐることをありゝと知つた。私は日本の新聞で、かういふ記者の文章にふれた例がなかつた。私は、日本の新聞がアメリカに敗けたのは、機構や資金の点でないと思ふ。私はこのアメリカ人の素直さは、多数のアメリカ人の共通性と思つた。日本の新聞人の口にし得ない真剣と思つた。必ずしも、日本が敗れた因をこゝに見たといふのではないが、ある種の衝動をうけたことは事実である。それはさはやかに淡々と聞えた。少しの脅迫がましさもない。威張りも、扇動もない、日常心のやうだ。私はこゝからアメリカの普通の新聞記者の心術を想像して、心にこたへるものを味わつたのである。
「天魚」昭和三十三年八月号 保田與重郎
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この話を読んで、私もすごいと思った。そしてやっぱりまねできないと考えた。日本のためにすら躊躇する私にはなかなかw
しかしこのスカッと明るい正義感は、正直うっとうしいとも思う。大東亜戦争の時のアメリカ政府にこの正義感があったとは思えない。が一般アメリカ人にはあったのだろう。これは同時に日本にも言えることだと思う。あの頃の大多数の日本人はアジアのために戦った。それが同時に日本のためでもあったからだが、大東亜戦を戦わないということはアジアを見捨てるということだった。一部に日本政府・軍部の汚い部分があったとしても根にあるものは正義感だった。
でもこの話を、気持ちの片隅に覚えておきたいと思う。