江藤淳 保守とはなにか1
江藤淳 「保守とはなにか」より
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~いったい保守とは何なのか、保守主義とはいかなるものなのか、ということです。保守主義というと、社会主義、あるいは共産主義という主義があるように、保守主義という一つのイデオロギーがあたかも存在するかのように聞こえます。しかし、保守主義にイデオロギーはありません。イデオロギーがない──これが実は保守主義の要諦なのです。そのことは保守主義の輪郭が一番はっきりしている英国を例にとって考えてみるとわかりやすい。
保守主義を英語で言えばコンサーヴァティズムです。しかしイズムがついたコンサーヴ── 保守が果たしてあり得るのか。保守主義とは一言でいえば感覚なのです。さらにいえばエスタブリッシュメントの感覚です。エスタブリッシュメントとは既得権益を持っている人たちのことです。これからのし上がって、物事を変えてやろうという人ではない。麻原彰晃こと松本智津夫や全共闘上がりの政治家や役人とは違う。彼らはイズムで動く人たちです。
しかしエスタブリッシュメントは既得権益を持っているが故に、その既得権益の存在基盤について考えざるを得ない。自分は何で爵位を持って生まれてきたのか。なぜ我が家は代々地主なのか。その既得権益の源泉をたどると、君主という存在に自然と行き着くことになる。名誉革命後のイギリスでは議会と君主が競争的関係にありながら均衡を保ってきた。議会つまり庶民院である下院が立法権を持って、国家を運営していく制度をとっている。しかしそれら制度全体を法典に書き表した憲法典──コンスティテューションは持たない。王室法と議会法しかイギリスにはありません。つまり王室と議会の競争的な関係を規定した法典があるだけです。あとはすべて慣習に従う。慣習とは裁判所でいえば判例になり、政治的には前例に相当する。オックスフォードの辞書(OED)でコンスティテューションという名詞を引くと、国家に関する第一義は「国の組成」と書いてあります。国がどういう故事来歴を持って成り立ってきたかがコンスティテューションである、と。第二義として「国の組成に関する規定、原則」とある。つまり憲法典は第二義というわけです。当然、世界最古の憲法典であるアメリカの合衆国憲法はこの第二義に相当する。一方、本家本元の英国は憲法典を持たずに、慣例という自らの歴史的体験に基づく感覚に委ねる。この国は保守主義がイズムではなく感覚であることを憲法典を持たないことによって立証しているとも言えます。
一八九七年(明治三十年)にイギリスのニューカッスル・アポン・タインのアームストロング造船所で、英国労働争議史上に特筆されるような大争議がありました。このとき欧州大陸からドイツの社会主義インターナショナル系を中心とする革命オルグが続々と英国にやってきて、労働者をイデオロギーによって組織しようとした。ところがイギリスの労働者達は、このイデオロギー信奉者達を追い返してしまった。俺たちは労働時間を短縮し、賃金を上げてもらいたいだけで、わけのわからない「主義」は必要ない、と。私はこの話をニューカッスル工科大学のJ・F・クラーク氏という歴史科から聞いたのですが、このときの労働者の態度が現在も続くイギリス労働党の基本的性格を決めた、という。つまり、労働組合主義です。さきほど保守とはエスタブリッシュメントの感覚であると申し上げましたが、イギリスにおいては労働者階級さえも保守の感覚を保持していた。私はこの話を聞いて少なからず感動しました。英国という国は上から下までが、イデオロギーではなく保守的な感覚で動いているのだな、と。
偉そうなお題目を唱えているだけでは、パンは食えない。正義が実現されても、家族が飢えるのではしょうがない。そのことを英国の労働者階級は直観的に知っている。彼らの考え方の根柢にはやはり保守的感覚がある。また彼らはきわめて排他的です。それを避難する人がいるかもしれない。しかし、良い悪いの前に、異物がきたらまず追い返す。この感覚が保守なのです。
そういう保守の立場からすると、イギリス人が彼らの歴史を生きる過程で一番脅威を感じたのはフランス革命が起きたときだったのではないか。フランスではとうとう王様がギロチンにかけられた。しかし、ギロチンは単に物理的な道具に過ぎない。問題はギロチンを動かしているものにある。それは何か。「自由・平等・友愛」というイデオロギーです。それに対し正面から異議を唱えたのが、英国の保守思想家で政治家でもあったエドマンド・バークでした。バークは「フランス革命に対する省察」という大部の書で、フランス革命に対する批判を徹底的に行なった。また彼は「自然社会の擁護」という論文で、人間は自然に従って家族を形成した、しかし、家族と家族をつなげる自然な契機は存在しないので、法を制定し国家を形成し政治というものが生まれた、と述べています。このバークの思想の源流を辿っていけば、おそらくアリストテレスの「政治学」に行き着くはずです。バークはフランス革命と同時代に生きたイギリス人として、革命に対抗するには自然社会を保っていくしかないと考えたのでしょう。
繰り返しますが、保守とは感覚である。上は大貴族から下は造船所の労働者まで、一貫してイギリス人は、俺たちは俺たちの生活を守っていくという感覚でやってきた。彼らは自分たちの生活様式を文字通り保守し、外からの干渉に対しては、それが物理的なものであろうと思想的なものであろうと努めて排除する。靴の底みたいに硬いローストビーフを食べている、とフランス人から馬鹿にされても、自分たちはこれが美味いんだからと一顧だにしない。何から何まで世界一になる必要はない、俺たちの流儀を守ってやっていければいいんだという保守感覚──これが連合王国としてのイギリスを支えてきた。
ひるがえってわが国はどうか。江戸時代、日本は二百十五年もの長い期間、鎖国をしていました。鎖国とは保守主義のもっとも徹底した形とも言える。自分たちの生活様式を守るために、外国から干渉されないように政治的独立を保ち、その中で熟成される諸文化を享受する。島国という地政学的要件を上手に生かして、鎖国をつづけることが日本人にとって一番幸せだと考えた。ただし、人口が急激に増えては無理が生じるので、人口をおおよそ三千万人に抑制する。これが徳川幕府の基本政策です。江戸時代とはまさに保守そのものだったとも言える。
しかし、日本にとって看過できなかったことは、ヨーロッパに産業革命が起きたことです。動力と竜の組み合わせによって、蒸気船が発明され、日本にも黒船がやってきて開国を迫った。「太平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も眠れず」というわけで、もはや鎖国を貫くことはできなくなってしまった。西洋列強に伍していくために、日本人は自ら国を開き「改革」を断行しなければならなくなった。
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~いったい保守とは何なのか、保守主義とはいかなるものなのか、ということです。保守主義というと、社会主義、あるいは共産主義という主義があるように、保守主義という一つのイデオロギーがあたかも存在するかのように聞こえます。しかし、保守主義にイデオロギーはありません。イデオロギーがない──これが実は保守主義の要諦なのです。そのことは保守主義の輪郭が一番はっきりしている英国を例にとって考えてみるとわかりやすい。
保守主義を英語で言えばコンサーヴァティズムです。しかしイズムがついたコンサーヴ── 保守が果たしてあり得るのか。保守主義とは一言でいえば感覚なのです。さらにいえばエスタブリッシュメントの感覚です。エスタブリッシュメントとは既得権益を持っている人たちのことです。これからのし上がって、物事を変えてやろうという人ではない。麻原彰晃こと松本智津夫や全共闘上がりの政治家や役人とは違う。彼らはイズムで動く人たちです。
しかしエスタブリッシュメントは既得権益を持っているが故に、その既得権益の存在基盤について考えざるを得ない。自分は何で爵位を持って生まれてきたのか。なぜ我が家は代々地主なのか。その既得権益の源泉をたどると、君主という存在に自然と行き着くことになる。名誉革命後のイギリスでは議会と君主が競争的関係にありながら均衡を保ってきた。議会つまり庶民院である下院が立法権を持って、国家を運営していく制度をとっている。しかしそれら制度全体を法典に書き表した憲法典──コンスティテューションは持たない。王室法と議会法しかイギリスにはありません。つまり王室と議会の競争的な関係を規定した法典があるだけです。あとはすべて慣習に従う。慣習とは裁判所でいえば判例になり、政治的には前例に相当する。オックスフォードの辞書(OED)でコンスティテューションという名詞を引くと、国家に関する第一義は「国の組成」と書いてあります。国がどういう故事来歴を持って成り立ってきたかがコンスティテューションである、と。第二義として「国の組成に関する規定、原則」とある。つまり憲法典は第二義というわけです。当然、世界最古の憲法典であるアメリカの合衆国憲法はこの第二義に相当する。一方、本家本元の英国は憲法典を持たずに、慣例という自らの歴史的体験に基づく感覚に委ねる。この国は保守主義がイズムではなく感覚であることを憲法典を持たないことによって立証しているとも言えます。
一八九七年(明治三十年)にイギリスのニューカッスル・アポン・タインのアームストロング造船所で、英国労働争議史上に特筆されるような大争議がありました。このとき欧州大陸からドイツの社会主義インターナショナル系を中心とする革命オルグが続々と英国にやってきて、労働者をイデオロギーによって組織しようとした。ところがイギリスの労働者達は、このイデオロギー信奉者達を追い返してしまった。俺たちは労働時間を短縮し、賃金を上げてもらいたいだけで、わけのわからない「主義」は必要ない、と。私はこの話をニューカッスル工科大学のJ・F・クラーク氏という歴史科から聞いたのですが、このときの労働者の態度が現在も続くイギリス労働党の基本的性格を決めた、という。つまり、労働組合主義です。さきほど保守とはエスタブリッシュメントの感覚であると申し上げましたが、イギリスにおいては労働者階級さえも保守の感覚を保持していた。私はこの話を聞いて少なからず感動しました。英国という国は上から下までが、イデオロギーではなく保守的な感覚で動いているのだな、と。
偉そうなお題目を唱えているだけでは、パンは食えない。正義が実現されても、家族が飢えるのではしょうがない。そのことを英国の労働者階級は直観的に知っている。彼らの考え方の根柢にはやはり保守的感覚がある。また彼らはきわめて排他的です。それを避難する人がいるかもしれない。しかし、良い悪いの前に、異物がきたらまず追い返す。この感覚が保守なのです。
そういう保守の立場からすると、イギリス人が彼らの歴史を生きる過程で一番脅威を感じたのはフランス革命が起きたときだったのではないか。フランスではとうとう王様がギロチンにかけられた。しかし、ギロチンは単に物理的な道具に過ぎない。問題はギロチンを動かしているものにある。それは何か。「自由・平等・友愛」というイデオロギーです。それに対し正面から異議を唱えたのが、英国の保守思想家で政治家でもあったエドマンド・バークでした。バークは「フランス革命に対する省察」という大部の書で、フランス革命に対する批判を徹底的に行なった。また彼は「自然社会の擁護」という論文で、人間は自然に従って家族を形成した、しかし、家族と家族をつなげる自然な契機は存在しないので、法を制定し国家を形成し政治というものが生まれた、と述べています。このバークの思想の源流を辿っていけば、おそらくアリストテレスの「政治学」に行き着くはずです。バークはフランス革命と同時代に生きたイギリス人として、革命に対抗するには自然社会を保っていくしかないと考えたのでしょう。
繰り返しますが、保守とは感覚である。上は大貴族から下は造船所の労働者まで、一貫してイギリス人は、俺たちは俺たちの生活を守っていくという感覚でやってきた。彼らは自分たちの生活様式を文字通り保守し、外からの干渉に対しては、それが物理的なものであろうと思想的なものであろうと努めて排除する。靴の底みたいに硬いローストビーフを食べている、とフランス人から馬鹿にされても、自分たちはこれが美味いんだからと一顧だにしない。何から何まで世界一になる必要はない、俺たちの流儀を守ってやっていければいいんだという保守感覚──これが連合王国としてのイギリスを支えてきた。
ひるがえってわが国はどうか。江戸時代、日本は二百十五年もの長い期間、鎖国をしていました。鎖国とは保守主義のもっとも徹底した形とも言える。自分たちの生活様式を守るために、外国から干渉されないように政治的独立を保ち、その中で熟成される諸文化を享受する。島国という地政学的要件を上手に生かして、鎖国をつづけることが日本人にとって一番幸せだと考えた。ただし、人口が急激に増えては無理が生じるので、人口をおおよそ三千万人に抑制する。これが徳川幕府の基本政策です。江戸時代とはまさに保守そのものだったとも言える。
しかし、日本にとって看過できなかったことは、ヨーロッパに産業革命が起きたことです。動力と竜の組み合わせによって、蒸気船が発明され、日本にも黒船がやってきて開国を迫った。「太平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も眠れず」というわけで、もはや鎖国を貫くことはできなくなってしまった。西洋列強に伍していくために、日本人は自ら国を開き「改革」を断行しなければならなくなった。
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