チベット問題 日本でのダライラマ会見 | 忘れないようにメモメモ(日本の歴史、近代史)

チベット問題 日本でのダライラマ会見

チベットの報道(2008/04/10)ダライ・ラマ来日


ダライラマ猊下の発言
暴力的なデモは支持しない

・北京オリンピックについて
中国は世界一人口が多く歴史のある国。だからオリンピックを開催する資格がある。

・抗議行動について
気持ちを表現してもいいが暴力的な活動はしないように。しかし誰も彼らに黙れなどという権利はない。個人の権利。チベットではそれが認められていない。表現の自由がない。それが問題の根源なのだ。
しかしデモは非暴力でないといけない。

・チベットの暴動について
チベットが中国の一部で有り続けることを確信する。だからチベット独自の文化遺産である仏教を守っていくために、チベットは真の自治権を持たなければならない。
中国の一部のリーダーはチベット仏教のことを中国からの分離運動と見なしている。
現実としては自治は最小限で形骸化し紙の上での存在でしかない。だから今回のようなことになった。
だから今回の危機はチベット人達の憤怒の表れだ。我々が求めているのは純粋な自治で独立ではない。
中国共産党にいわれるがままダライラマは大悪人だと思わされている罪のない中国人が信じされられていることが悲しい。
一般の中国人達に言いたいのは、ダライラマは独立は求めていない。

・米下院本会議で中国にダライラマ14世との対話を求める決議を採択。






ウイグル自治区でも暴動があったそうです。

宮崎正弘の国際ニュース・早読み

ウィグル自治区ホータンで暴動、500名のイスラム活動家を拘束
   ホータン(和田)でチベットに連帯した反政府、独立運動家が街頭行進
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 ホータンはシルクロードの拠点、チベットに呼応して3月23日に五百名のデモが市内を行進し、警官隊と衝突、大半が逮捕された模様とNYタイムズが伝えた(4月3日付け)。
 拘束されたのは殆どがウィグル人の若者で、独立を訴えたのか、宗教の自由、高度の自治を要求したかは不明。
当局はNYタイムズの問い合わせに「公表するにはふさわしくない事件である」と言って口をつぐんだ由。

 「東トルキスタン」独立をもとめるイスラム原理主義過激派はアフガニスタンのタリバン支配地域で軍事訓練を受けていた。
新彊ウィグル自治区は戦前、「東トルキスタン」という歴として独立国家だった。
 アルカイーダに連動したウィグルの若者が多くいた。
その数は銭基深・元外相の回想録に依れば、1000名。武器を取り、軍事訓練を受けた。

 ところが米軍のグアンタナモ基地に拘束されたイラク戦争の捕虜のなかで、ウィグル系は十数名しかおらず、かれらのなかの五人が一昨年にアルバニアに政治亡命が許された。

 中国の度重なる要求にもし米国が屈して、かれらを中国へ送還すれば、拷問され死刑になる懼れが強いため、米國は世界中の国々に打診してきた。
嘗てもっとも親中派国家だったアルバニアが、北京を袖にして米国へ近づく、言ってみれば「お近づきの印」に五人のウィグル元兵士を受け入れた。

 三月、アルバニア系のコソボがセルビアから独立を宣言した。米国は真っ先にコソボ独立を承認した。中国は台湾問題を抱えているため、反対した。

 さてウィグル自治区ではイスラム教徒が尊ぶ歴史的な習俗、女性のチャドルも、男性がかぶる独特のイスラム帽も禁止され、学校ではウィグル語禁止、受験もクルマの免許証も、公務員試験もぜんぶ北京語で行われる。
 公然と侵略者側の文化破壊が進んでいるのだ。

 民族の記憶を消すのはなにか。歴史教育と言語である。
 だが、イスラムのコルランに忠実な宗教の原則に立脚すれば、中国の新彊ウィグルにおける残酷無道の異民族支配はチベット支配のスタイルと同様に血の弾圧による強権恐怖独裁政治の実践である。

 チベット問題で世界のマスコミの関心が集まった。ウィグルの若者も、北京五輪ボイコットへ向けての地下運動を激化させている。