「革命がやってきた。昔とは異なる革命が。起点となるのは個人であり文化」 | 忘れないようにメモメモ(日本の歴史、近代史)

「革命がやってきた。昔とは異なる革命が。起点となるのは個人であり文化」

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ブキャナンの警告は"対岸の火事"にあらず


 八木 冷戦後の左翼の動きで興味深いのは、マルクスという名前を出せないようになったことです。たとえば経済学の講義でマルクス経済学をやっても聴講生は誰も来ない。そこで看板を歴史認識や人権、男女平等、環境、平和といったものに変えて生き残りを図っている。しかし厄介なのは、すでにいくつかのテーマについてはむしろ左翼のほうが体制側になっているということです。彼らは政府や地方白治体の審議会などのメンバーにどんどん入り込んでいます。大きな利権を握って、すぐにはそれとわからない形で革命戦術を展開しているのです。
 ニクソン、レーガン、先代のブッシュと三代の共和党政権で外交スピーチを執筆してきたバトリック・J・ブキャナンが、アメリカでもそうした革命が進行していることに対して危機感を持ち、『病むアメリカ、滅びゆく西洋』(成甲書房)という本を書いています。グラムシの言葉などを引用しながら、「アメリカはアメリカでなくなっている」と警告しているわけですが、そのショッキングな内容を読めば読むほど、これは"対岸の火事"ではないと痛感します。マルキストは従来、下から抵抗し権力を奪取していくことを考えたけれども、現在では権力を握って上から自分たちの考え方を押しつけていく、と。そしてその対象として「文化」ということを言っている。文化を変えろ、と。文化を変えるには長い長い行程を要するが、しかしこれが一番確実な道だ、「そうすれば熟した果実のごとく権力は自然と手中に落ちてくる」、こうグラムシは述べていると言っているのです。
 ブキャナンはさらに、チャールズ・ライクの言葉を引用しています。「革命がやってきた。昔とは異なる革命が。起点となるのは個人であり文化」だと。従来の戦って勝ち取る革命ではなく、既存の体制に入り込み、寄生していってそこで権力と財源を得て、好き勝手をやるという新たな革命が始まっているのだ、という指摘です。
 渡部 二・二六事件以後における日本の、軍部の統制派のやり方ですね。あのとき統制派は、もうテロは起こす必要はないと、全部統制することで社会改造を企図したわけです。
 八木 歴史は繰り返すのかもしれません。ブキャナンは、「すでに確立した制度内に身を置いて働きかけよ」というマルクーゼの言葉を引用して危機感を募らせています。
 渡部 近代国家においては、本当に左翼を退治することは難しいと言わざるを得ない。
近代国家には官僚が必要ですが、官僚にしてみれば、左翼国家がいちばん住みやすいのです。その歯止めは徹底的な私有財産のa尊重なのですが、日本ではいまだに累進課税が幅を利かせている。私が長年、相続税の全廃・遺留分の廃止を主張しているのも、それが左翼退治に最も効果があるからです。国家が私有財産に口を挟めるかぎり、そこが左翼の究極的な温床になります。
 新田 いま少子化問題が左翼主導で論じられているのは、まさに、そこに手を突っ込まれているからですね。私有財産を維持する基礎は「家」にあります。家があるかぎり人間は子供を産んで財産を継がせようとする。そうやって家は続いてきたはずです。ところが革命にはこの家とその集合であるところの地域共同体が邪魔になる。そこでまず家を破壊する方向に政策が進められることになった。彼らがやろうとしていることを端的に図式化すればこうなる。
 八木 「子供を一人産むと、これだけ金がかかる」「大学に行かせると、これだけかかる」「女性が結婚して家庭に入るのと、結婚せず産まず一生働き続けるのと比べれは、生涯所得に二億円ぐらいの差がある」といった試算を厚生労働省が出し、大いに宣伝しています。こうした情報のなかで、誰が子供を産もうという気になりますか。
 新田 一代かぎりの議論、自分の親も子も関係ないという放蕩息子、放蕩娘の論理です。先祖から子孫にという縦軸はこれで消減してしまう。
 渡部 日本の山林まさに荒れなんとす。山を相続したら税金を徴収されるのですが、財産がマイナスになることがわかっていても相続放棄は受けつけない。そうすると、やがてすべて国に頼らさるを得なくなるのです。人間は親や子といった家族との関係ではなく、すべて国家との個人契約で生きるしかなくなる。当然、人間は己の利益だけを守ればいいというアトム化(砂粒化)に陥ります。戦前の家制度はたしかにマイナスの面もありましたが、果たしてそれに代わるものが、人間が個の砂粒になることでいいのか。
 新田 介護保険というのも、突き詰めて考えれば、家族の存在がやがて消滅することを前提にした制度かもしれません。子供がいなくても老後を国家に面倒見てもらえるような社会というのは、実は家族のいない孤独を当たり前のこととして考えないと発想できない。
 渡部 猛烈な危機感を覚えたことがあります。二、三年前、ある学会でロンドンに行って食事会をした。日本人だけが集まってハタと気がつくと、みんな誰にも孫がいない。私だけ、孫が一人いた。でも、これは白慢できないのですね。本来は十人くらい孫がいなけれはいけないのに、一人しかいない。これは恐ろしいことです。それが日本に帰ってきて周囲を注意して見てみると、いろいろなところで「少子化なんて怖くない」という話を耳にする。たとえは「人口が半分になっても六千万人。日露戦争時より多いのだから」などと能天気に言う人がいます。しかし、いまの人口比率で六千万人になるのではない。老人が五千万人で、若い人が一千万人です。とてつもなく恐ろしいことです。ある出版社の社長も、内輪でつくっている七人の高齢者の集まりで話をしたら、七人合わせて二人しか孫がいないと嘆いていました。こう見ると、怖いのは少子ではなくて"ゼロ孫化"です。

ーー(日本を貶める人々 渡部昇一、新田均、八木秀次)


いったん社会保障って物を全部なくしてしまったらどうでしょう。そうすれば核家族化は止まるんじゃないかな。無茶かw


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スイスで相続税は何故安いのか

「生きている間に税金を払ってきているのに、死んだらその財産にまた税金がかかるのはおかしい、と考える議員が州議会の過半数になっただけだ」
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相続税はなくしたほうがいいと思う。