「戦犯」はもうとっくに当時の国民によって許されている | 忘れないようにメモメモ(日本の歴史、近代史)

「戦犯」はもうとっくに当時の国民によって許されている

新田均というひとの「首相が靖国参拝してどこが悪い!!」に載っている「戦犯」についての話がわかりやすかった。他の本にも同じようなことは書いてあるんだけどその中でもわかりやすく書いてあっていい。内容はこんな感じ。


一般論として「日本人の宗教感覚では、みんな神様仏様だ。死んだ人に罪はないんだ」というものがあるが、それは靖国神社についての説明としては間違い。「戦犯」が合祀されている理由は独立回復後の国民全体の意志として「罪人ではなく戦死者である」と認定されたから、ということです。
「戦犯」の早期釈放を求める国民運動が全国であり、4000万を超える署名が集まったそうです。
国会でも、昭和26年11月10日の日米安全保障条約特別委員会において杉山昌作議員がサンフランシスコ平和条約第十一条によって、東京裁判に対する「異議申し立て」ができなくなるのではとの質問に、大橋武夫法務総裁は、日本政府の立場から戦争裁判への修正を求める方法は原則として閉ざされているとしながらも「非常に特殊な環境の下に裁判されたものでございまするから、今後調査によりまして、個々的にいろいろ不適当ではないかと認められるものがありましたならば、そのつど外交上の手段を通じまして、でき得る限り是正の道を図るというのが、これは政府として当然考えなければならん事柄ではないか云々」
当時の日本政府が個別的に是正していくことは可能だといっています。
国民も日本政府も、裁判がおかしいと思っていてわけです。だからこそ昭和28年に遺族援護法が改正されて「戦犯」の家族にも遺族年金や弔慰金が支給されることになったのです。恩給は犯罪者には支給されません。「戦犯」に支給されることになったということは、「戦犯」が犯罪者ではないことが法的に確認されたいうことです。


つまり靖国神社に「戦犯」はいないのです。「戦犯」といわれていた方々は「戦死者」として祀られたわけです。当時の日本国民と政府の意思が伝わります。


こういうのも載ってました


靖国神社の御祭神

靖国神社に祭られている御祭神の数は

明治維新 7,751柱
西南戦争 6,971柱
日清戦争 13,619柱
台湾征討 1,130柱
北清事変 1,256柱
日露戦争 88,429柱
第一次世界大戦 4,850柱
済南事変 185柱
満州事変 17,176柱
支那事変 191,250柱
大東亜戦争 2,133,915柱

計2,466,532柱


明治二年に、九段に建てられた「東京招魂社」が元です。
もっと大元は、幕末の文久二年に京都東山で、志士たちが同士たちの御霊を招き、祀った招魂祭だそうです。