「皇国史観」=悪 ではない2 | 忘れないようにメモメモ(日本の歴史、近代史)

「皇国史観」=悪 ではない2

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「民主主義」なる戦争スローガン


ここで一つはっきりとさせておく必要があるのは、ある一つの思想が、戦争の際に「戦争スローガン」として使われたとしても、その事実だけでは、その思想それ白体についての評価を下すことはできない、ということです。近代の、いわゆる国民戦争と呼ばれるような大規模な戦争においては、どんな国でも、ある種の「国民精神総動員」ということが必要不可欠であって、そのためには、必ずなんらかの戦争スローガンや大義が用いられることになります。つまり言いかえれば、ある思想が戦争スローガンとして使われたということは、さしあたっては、その思想がその国民たちにとって、非常時の心の支えとなるだけのものを持っていた、ということを意味するのであって、それ以上でもそれ以下でもない、ということなのです。そして、その思想が、内容そのものにおいて、著しく暴力的かつ非知性的なものであるかどうかといったことは、あらためてそれとして点検してみなければならないことなのです。
 ただし、そこにもう一つ注意しなければならないことがあって、それは、戦争スローガンとして使われ滝想ノの戦争が勝利に終わる空敗北に終わるかによってその思想内容にはかかわりなく、決定的な評価が下されてしまう、ということです。ことに、その戦争から、まだ百年も経っていないときには、そうした勝敗の結果にわずらわされずに、虚心にその思想内容だけを眺めるというのは、たいへん難しいことなのです。
 その意味で「皇国史観」を思想として公平に見るということは、決して容易なことではありません。その難しさは、ちょうど「皇国史観」と正反対の立場にある、「民主主義」なる戦争スローガンのことをふり返ってみるとわかり易いかも知れません。「民主主義」が戦争スローガンだった、などと聞くと意外と思われる方もあるかも知れませんが、実は、これほどしばしば戦争スローガンとして活躍した言葉は少ないと言ってもよいほどなのです。古代アテネにおいて、また近代のアメリヵ独立戦争、フランス革命その他の内戦、戦乱において、この言葉はおおいに「国民を戦闘に駆り立てる役割」を果たしてきました。
 ことに第一次世界大戦は、この言葉が本格的な戦争スローガンとして使われることになった最初だったと言ってよいでしょう。よく言われるとおり、この第一次大戦という戦争は「誰も欲しなかった戦争」という性格を帯びた戦争で、それだけにかえって、戦争スローガンが重要な役割を果たしたとも言えるのです。もともと、いかなる必要があって始めたのでもない戦争であっても、現に戦争が始まってしまえば、全力で戦うほかはありません。しかも、そこでは兵士たちが次々と万単位で殺されてゆくーそういう修羅場に国民を送りこむのに、「大義」抜きでやってゆけるものではありません。そこで選ばれたのが「民主主義」というスローガンだったわけです。
 これは、英仏両国の内側から出てきた大義というよりは(ことにフランスでは、当時「民主主義」という言葉は、あの内戦による六十万人の死者を出した百年前の記憶がつきまとっていて、たいへんイメージの悪い言葉だったと言います)「民主主義」を国是とするアメリカを味方にひき込むためだったと言ってよい。しかし、事情は何であれ、連合国側は「民主主義」のスローガンを掲げて戦うことになりました。つまり、「民主主義」は「誰も欲しなかった戦争」のなかで、次々と国民を戦場に駆り立て、むごたらしい死へと至らしめるうえで「大きな役割を果たした」というわけです。
 しかし、それにしては、この「民主主義」なる戦争スローガンは「皇国史観」のように危険視されるどころか、もつとも輝かしいスローガンとして二十世紀に君臨してきました。これはなぜなのか?ーふり返ってみれば簡単なことで、第一次大戦、第二次大戦、そして冷戦と、二十世紀の大きな戦いで、この戦争スローガンは連戦連勝をとげてきた、ただそれだけのことなのです。あまりにも単純、お粗末にすぎる、と思われるかもしれませんが、古今東西を問わず、世の人々の「思想」に対する姿勢というものは、いつでもおおむねこの程度のものなのです。勝った者たちの言葉は、議論の余地なくよい言葉とされ、ひるがえって負けた者たちの言葉は、これまた議論の余地なく悪い言葉として斥けられる、これが戦争というものの掟なのです。
 ある意味では、こうした戦争の掟に無条件で従ってしまうのは、生物としての人間につきものの傾向で、むしろ健全なこととも言えるのですが、ただし、そのような姿勢をとるかぎり、負けた者たちは、際限なく雪辱戦をつづけていかなければならなく
なります。どこかの時点で、勝ち負けに関係なく、思想を思想として正しく客観的に判定する、ということをしなければならない。つまり言うならば、「皇国史観」の再評価ということは、まさにもっとも平和的な企てなのです。

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やはり戦争をするからには勝たないとだめですな。勝てば官軍っていうのは動かしがたい事実だ。しかし先の戦争はもっとうまく、ずる賢く戦って欲しかった。