上機嫌文化 | 忘れないようにメモメモ(日本の歴史、近代史)

上機嫌文化

引用ーー
『ジャポン1867年』

L・ド・ボーヴォワール 綾部友治郎訳

フランスの青年貴族である著者は一八六七年、世界一周旅行の途中で日本に立ち寄って、横浜から、江戸、箱根なとを見てまわった。明治維新前夜の世情と庶民の暮らしぶりが活き活きと描かれた、出色の見聞録だ。


 日本人の最大の贅沢は畳である。わらを編んでつくり、完全な長方形で三プース(約八センチ)の厚さ、さわると柔らかい、彼らは履物でこれを汚すことは決してせず、家の中を歩きまわるのは必ず素足である。
 家具はといえば、彼らはほとんど何も持たない。一隅に小さなかまど、夜具を入れる引戸つきの戸棚、小さな棚の上には飯や魚を盛る漆塗りの小皿が皆きちんと並べられている。
これが小さな家の家財道具で、彼らはこれで十分に、公明正大に暮らしているのだ。ガラス張りの家に住むがごとく、何も隠しごとのない家に住むかぎり、何ひとつ欲しがらなかったあのローマ人のように──隣人に隠すことなど何もないのだ。

 小店の中央に、どの階級においてもひろく用いられる二つの品物がある。「火鉢」と「煙草盆」すなわち火鉢と喫煙箱である。たいへんなお茶飲みで、煙草とおしゃべりが大好きな日本入は、この火鉢を前にして一日を過ごす。集まる人数は七、八人だが、茶瓶を囲んで正座しているのが見える。われわれのはいったどの店でも、彼らはわれわれの国では見られないような丁重さと、人を引き付ける愛想のよさとをもって応待した。
 商店街は「弁天通」とよばれたと思うが、それと平行する狭い通りへご免を被っていきなり飛び込んでみる。ここでは、甚だ奇妙な光景がくりひろげられていてわれわれを楽しませるが、このような経験ははじめてであっても、この国では珍しいことではないのだ。
 だが、憤慨するには及ばない。日本ではその生活に隠しごとがない。ここでは恥ずかしいこと、いや、むしろ恥ずかしくないことがどういうことかわかっていない。それは地上の天国のの天真爛漫さである。われわれの最初の先祖アダムとイヴの身なりも、今なお黄金時代にあるこの民族の感情をいささかも傷つけることはない。
 そうだ。この通り全体が湯浴みの通りなのである。日に二回、または三回も誰もがここへ体を洗いにやってくる。ここでは男も女も若者もも娘もすべてこちゃまぜで、大天使の衣装そのままに、一軒の店ごとに四十人から六〇人が、斜面になった床の上に、熱い湯を張った鋼のたがのたまった子桶のピラミッドに囲まれて、しゃがんだり、ぴょんぴょん跳ねたりしている。
こうした蛙人間は頭から足まで湯を浴び、ひとり残らず少しず海老色になる。こするわ、こするわ。人々は歩き回り、「外国のえらいお方」の所へ巻煙草を一本、うやうやしくもらいにくる。男の彫物の中で一番豪華なのが、賑やかなニンフたちのバラ色の中で輝いている。その肌をこの国公認のこすり手がせっけんで洗い、拭う。この律義者はそうしたことの一切を実に平然とやってのけ、一見何でもないことをしていると見えるほど至極自然である。「ショッキング」(けしからん)などと、いわばいえ。この公認のこすり手くんの社会的特権にケチをつけずに、われわれもひとつ仲間入りとゆくか。
われわれはすでに挨拶の言葉を話しはじめている.。「オハイオ」はボンジュール.「オメデト」はわたしはあなたを祝う。「イルーチ」はきれい、魅力的。「セイアナラ」はまたおめにかかりましょうだ。それにこの民族は笑い上戸で心の底まで陽気である。われわれのほんのわずかな言葉、ささいな身振りをたいへんに面白がる。男たちは前に述べたとおり、ちょっとしたものを身に付けただけでやって来て、われわれの時計をしらべ、服地にさわり、靴をしげしげと見る。そして、もしも彼らの言葉をまねて少々大胆すぎるほど不正確に発音すると、口火用に筋状に巻いた火薬に火をつけたように、若い娘たちの間から笑いがはじける。
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わたしは、日本人以上に白然の美について敏感な国民を知らない。田舎ではちょっと眺めの美しいところがあればどこでも、または、美しい木が一本あって気持のよい木陰のかくれ家が旅入を休息に誘うかに見えるところがあればそんなところにでも、あるいは、草原を横切ってほとんど消えたような小径の途中にさえも、茶屋は一軒ある。わらぶき屋根の、紙の間仕切りの手軽な小屋で、茶を沸かし米を炊く炉のまわりには柔らかくて清潔な畳が敷いてある。これまでそれを道に沿ってずっと見て来たが、この仙境には是非とも一軒必要であった。
 われわれが馬からおりるとすぐに、二、三人の娘がやさしく愛らしくお茶と飯を小さな碗に入れて持って来る。老婦人が火鉢と煙草をすすめる。他の小径を通ってやって来た日本人の旅人も、われわれと同じように歩みをとめる。彼らはわれわれに話しかけるが、たいそう愛想のよいことをいっているに相違ない。当方としては彼らの美しい国をどんなに愛しているかを伝えられないことが残念であった。しかし、古くから馴染んで日本人同然のランドウ氏は、彼らの丁寧に語ることをすべて通訳し、われわれの礼儀正しさを彼らに伝える。
  それから一同は再び出発し、湾の奥深い所に見える遠い村まで下りてゆく。ーーそこでは、これはどの道を通る場合も同じだが、その住民すべての丁重さと愛想のよさにどんなに驚かされたか・話すことは難しい。「アナタ、オハイオ」(ボンジジュール、サリュ)、馬をとばして通り過ざるわれわれを見送って、茶屋の娘たちは笑顔一杯に叫んだ。耕作している者はみな田圃の中へ熊手をおきざりにしたまま駆けつけるなり、畔道の上で微笑して、「オハイオ」といった。「オハイオ、オメデト」、これが道ですれちがう男女の旅人すべての言葉であった。思うに、外国人が田舎の住民によってどのように受け入れられ、歓迎され、大事にされるかを見るためには、日本へ来てみなければならない。地球上最も礼儀正しい民族であることは確かだ。
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 思い切りよく、積極的、大胆で同時に軽率な民族。愛想はよいが、子どものように素直で、ただの一回ひとつの物を見たら、すべてがわかると信じ、日本人は蒸気船による航海へ夢中になって乗り出した。彼らは沢山の船を買い込み、白分たちだけでそれを操船しようとした。ある時、彼らはデント商会へ大へん立派な船「ライモウン」を注文した。その船が碇泊地に朝着くと、昼には、彼らはヨーロッパ人の水夫と機関士全員を船から追い出し、小舟の親方数名だけで、全速力で錨地から出航し

た。甚だ愉快。だが止めようとする段になって、その方法が何としてもわからない。そこでこの無謀なおえら方は、舵を一方の舷にとり、救いを求めながらいつまでも円を描き続ける。碇泊地の乗組員は全員大喜びだが、しまいには、わが軍艦の一隻が気の毒に思い、機関士をひとり短艇に乗せて送り、狂気の機械を止めたのである。
ーー(ハイライトで読む美しい日本人 斉藤孝)


いいですな。著者は「上機嫌Tシャツ」まで作ったそうです。さらに「上機嫌の作法」という本まで書いています。街で歩いている時意味もなく不機嫌そうな人がいますが、同じ意味がないなら「上機嫌」がいいですな。