「靖国神社の英霊は寂しかった」 | 忘れないようにメモメモ(日本の歴史、近代史)

「靖国神社の英霊は寂しかった」

引用ーー

 わたしの銀行時代の先輩で、靖国神社の経理をやっていた人がいる。その人は戦争中、中国大陸を1000kmも歩いて桂林まで行って、戦いに負けて負けて負けて、また1000km歩いて帰ってきたという経験がある。

 彼は銀行に勤めて、定年退職のころ、靖国神社から経理課長か経理部長をやってくれという話があった。

 「給料は証券会社へ天下った場合の3分の1くらいしか出ないけれど、受けるか」と聞かれ、彼は受けたそうだ。

 「自分は危うく靖国神社に祭られるところだったんだ。自分の知っている人が何十人もあそこにいるんだ。そういう場所のお世話をして残る一生を暮らせるのは幸せだから、給料が安くてもやる」と、彼は靖国神社で働くことにした。

 ずっとあとでわたしは靖国神社に行って、その人と話すことがあった。彼は「靖国神社は今や寂れきっていて、誰も来てくれない。来てくれるのは、夜暗くなってから、隅っこの暗いところでいちゃいちゃしているカップルくらいだ。そういう連中に対して『神域を汚すものだから、パトロールして取り締まろう』という意見が出るが、わたしは断じて反対している」と言った。

 「わたしは、死んだ人たちの気持ちを知っている。誰かに来てほしいんだ。寂しいんだ。誰でもいいから靖国神社へ来てくれて、にぎやかにしてくれればうれしいんだ。それが死んだ英霊たちの気持ちだ。危うく英霊になりそうだったわたしがそう思うんだから、取り締まるなんてとんでもない」と。

サイパン島で死んだ人たちは
カップルの来島を喜んでいるかも


 その話に関連して、近年、サイパン島へのツアーなどに苦言を呈する向きがあった。

 「たくさんの日本人が死んだサイパンへカップルが旅行に行って、昔の戦車とか大砲とかを遊び場にして、いちゃいちゃやっているのは嘆かわしい」と新聞は書いた。

 わたしはそれを読んで、靖国神社の先輩の話を思い出し、「死んだ人は、喜んでいるかもしれない」と思った。

 自分たちが命を捨てて戦って、それで米国は日本を尊敬するようになったから、戦後、若い日本人は経済だけでやっていくことができた。そのおかげで豊かになって、こうやって自分の子供や孫が遊びに来てくれている。サイパン島で死んだ人は、カップルがたくさん来て喜んでいるんじゃないか。

 死んだ人は、誰かが来てくれればうれしい。若い人が来て、遊んでいてくれて、それで結構だ。そういうことがあるとわたしは思っている。

 そして、こうしたことは今のうちに伝えておかないと、だんだん代が替わっていくにつれて分からなくなっていってしまうだろう。

ーー(「心情」から語る靖国論(1)~英霊の気持ち~)