日本人が望んだ天皇の世襲制
徹底討論・女帝は是か非か 皇室典範の改正に向けて
長谷川三千子(はせがわ みちこ)・(埼玉大学教授)
八木秀次(やぎ ひでつぐ)・(高崎経済大学助教授)
高森明勅(たかもり あきのり)・(拓殖大学客員教授)
一部抜粋
引用ーー
日本人が望んだ天皇の世襲制
長谷川 ここで、ひとつ、たいへん素朴な疑問を投げ掛けてみたいのですが、もしも「なぜ血筋がつながっていなくてはならないんだろう」「天皇陛下になる人を、なぜ選挙で選んではいけないんだろう」と問い掛ける人がいたとしたら、われわれはどう答えたらいいのか。
八木 それは非常に難しい問題です。もちろんいろんな説明が可能だと思います。「王様の政治学」という君主制の機能的な説明も可能です。しかし、日本の国の始まりから「続いてきたから」という事実の重みを強調することが、いちばん適切であるように思います。天皇が天皇であられる理由ですが、やはり「血筋である」といわざるをえない。
私は能力や人格という問題は、付随的なものだと思います。神武天皇に発する男系の御血筋を今日において継承しておられる方、その方が皇位に就かれる人物です。歴代百二十五代、皇太子殿下も入れると百二十六代が、神武天皇以来の男系の血筋でつながっておられる。皇室は世界最古の王朝ですが、このようなことは世界中どこを探してもありません。その事実の重みを、そのまま受け止めるべきではないかと思います。
長谷川 たしかに、考えてみると人間の血筋というのは、一人ひとりの人間を超えたところがあります。遠い昔から続いてきたものが、今度は未来の時間へ伸びていく。その流れをかたちづくっているのが、血筋なわけですね。そう考えると、血筋という事柄自体が、時間の神秘そのものといえる。それが日本の国柄の真ん中にずっと通ってきた。その事実だけで、本当にすごいことといえますね。さらにいえば、日本の皇室における道徳性というのも、つねにその血筋を軸として、「皇祖皇宗の遺訓」として伝わってきたわけで、「力」ではなく「徳」が大切だという伝統は、この「血筋」ということと切り離しがたく結びついているような気がします。
高森 先ほどの質問の、「なぜ天皇になる人を選挙で選んではいけないか」についてですが、およそ独立国家たるもの、国家の中心となる存在、現在でいう国家元首が不可欠である。対外的に、その国を代表して、その国の統合の要になる存在が必要であることは、誰しも認めるところでしょう。
その国家元首の存在様式には、大枠で二つのタイプがあります。一つは選挙による大統領など。もう一つは世襲による君主です。選挙によって選ばれる元首には、プラス面とマイナス面があります。プラス面は能力のある人、あるいは人望のある人が選ばれるケースが多いことです。能力と人望が正比例するものでないといった問題もありますが、いちおうはプラスの面といえる。また有力な政党をバックにしているため、政策を実行に移しやすいことも挙げられます。
一方のマイナス面は、ポピュリズムに走って、国家の長期的な路線を誤りがちであることです。また、どんなに国民に人気の高いリーダーであっても半分は政敵で、いつ足をすくわれ、政治が混乱するかわからない。また、ある時期を境にみるみる国民の支持が凋落し、「レームダック」状態になって政策運営に支障を来すこともある。場合によっては、独裁者への道を歩むかもしれない。さらに致命的なのは、その国家における歴史的な連続性というものを体現できない。国家元首に求められる尊厳や威厳、あるいは高貴な品格などが、選挙期間におけるスキャンダル合戦などで大いに損なわれることもあります。また選挙の在り方によっては、この前の台湾総統選挙やアメリカ大統領選挙のように、選挙の正当性そのものに疑義が挟まれることもある。
では世襲制の場合はどうかというと、ちょうどその逆です。能力や人望が優れている保証はない。「暗愚の君主」が現れてしまう可能性があるわけです。しかしこれについては、立憲君主制の場合、「輔弼(ほひつ)制」という政策運営上のサポートシステムがきちんと整っていれば、さほど懸念すべきマイナス面ではない。政敵にしても、日本の場合、戦後のような左翼の影響力が強い時世の下でも、一貫して国民の八割以上が天皇という存在を支持しつづけています。そしてプラス面としては、歴史の連続性を体現し、尊厳を表現するのに、伝統ある君主ほどふさわしい存在はいません。
そう考えたとき、世界の君主のなかで日本の天皇ほど、世襲制のもつマイナス面が希薄で、主にプラス面を集約的に身に帯びておられる方はいらっしゃらない気がします。現存する世界最古の王朝であり、しかも独裁や専制とは懸け離れ、公益、民意を尊重される。絶えず自らを省みて、国家社会全体の利益を最優先するという精神の伝統を受け継いでこられている。日本の国民は、意識するとしないとにかかわらず、漠然とそれを感得していたのだと思います。
それが、「なぜ天皇の血筋がつながってきたのか」という問いに対する答えに結びつきます。一言でいって、結局は国民の側がそれを望んだからです。先月号にも書きましたように、「道鏡事件」のような、天皇自ら皇統に属さない人間を即位させようとしたときですら、国民はこれを望まなかった。すなわち皇室が「自分たちの血筋で君主の地位を独占する」という原理を押しつけてきたのではなく、国民の側で他の血筋に変わったり、他のシステムに変わることを望まなかったのです。そこには日本国家の統合のかたちが壊れてしまうことや、いびつなかたちでの統制国家を避けようとする、日本人の賢明な選択が働いていたといえるでしょう。
長谷川 いやァ、そうしてみると、いわゆる「世襲」という言葉が、現代では安易に使われすぎていますね。お父さんが国会議員だったから息子も地盤を引き継いで国会議員になった、なんていうのを「世襲議員」と呼んだりしますが、本来はこんなものを「世襲」といってはいけませんね。長い血筋を経てこそ、世襲の本当のよいところが出てくるわけなのですから。
高森 まさに長い歳月のなかで精神が磨かれ、鍛えられていくのです。「世襲議員」の場合は地盤や特権を受け継いでいるようですが、皇室における「世襲」では、責務、あるいは祈り、あるいは精神を受け継いでいるのです。先ほど八木さんが、「とにかく血筋である」といわれましたが、あえて異論を申し上げるなら、私は「血筋、プラス祈りの継承である」と考えます。まさに皇祖以来の祈りを受け継いでこられたことと血統が一体になっているんです。この両者相まって、皇統の尊厳というものが成立しています。ここでは立ち入りませんが、践祚(せんそ)の儀、即位式、大嘗祭(だいじょうさい)などの皇位継承に伴う儀礼は、そのことを確認し更新する意味をもつものでしょう。
いまわが国には、グローバル化の波が押し寄せています。そのなかで日本人のアイデンティティを支えうる最後の砦とは何かというと、やはり神話に由来し、古くからの血脈と祈りを受け継ぐ世襲の天皇という存在以外ありえない。これもまた、忘れてならない天皇の存在意義だと思います。
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「世界の君主のなかで日本の天皇ほど、世襲制のもつマイナス面が希薄で、主にプラス面を集約的に身に帯びておられる方はいらっしゃらない気がします」「世襲議員」の場合は地盤や特権を受け継いでいるようですが、皇室における「世襲」では、責務、あるいは祈り、あるいは精神を受け継いでいるのです」というのはなんとなくわかります。まあ八木さんも似たようなことは思っているでしょう。ただその、ありがたみというか、尊崇の念みたいなもののなかには「神武天皇から連綿と続いている」血統ということが結構な重みだと思う。ので八木さんにもっと頑張って欲しい。