ああ日本人じゃなかった
引用ーー
開戦時に私は小学校三年生、自分でも日本の国民として日本のために兵隊になりましょうと(いう気持ちが強かった)。国のためなら高砂族も(働かねばならない)。おじいさんやいとこなどフィリピンから戻った親戚が勇ましく、村中で万歳三唱した。おじさんはニューギニアで戦死したが、昭和十九(一九四四)年に届いた手紙で「天皇陛下のために戦ってくれ」と書いてあった。私は必ずかたきとってやると心に決めた。隣村で勲章もらった男がいた。ようしオレもと若い人が志願した。特攻隊にいった人もおる。 昭和二十年三月に卒業して陸軍軍属になった。情報員だった。しかし八月十五日、暫時戦争停止だといわれた。日本は負けただの(そんな)バカなことありはしない。 日本兵がみな日本に帰っていった。(不思議に思って)私も日本人なのに日本にならないか(日本に帰らないか)、とおじいさんに聞いたら、内地の人とは違うんだと言われて初めて、「ああ日本人じゃなかったなあ」と残念に思いました。 簡は、ああ日本人じゃなかったなあ、と二度繰り返して、少し目を潤ませた。
ーー(還ってきた台湾人日本兵 河崎眞澄)