ニュルンベルク裁判、東京裁判 | 忘れないようにメモメモ(日本の歴史、近代史)

ニュルンベルク裁判、東京裁判

引用ーー
西部 これはマイナーポイントかもしれませんけど、戦後処理としては、ドイツに対して行われたニュルンベルク裁判と、極東国際軍事裁判がありますが、この二つには決定的な違いがあります。
というのも、事後立法で平和に対する罪とか、人道に対する罪とか言われていますが、戦争当時、そんな法律はなかった。それを事後的に作って縛り首にした。こんなものはもう法規的裁判じゃない、となっている。でも、ぼくはそれ、許される場合もあると思うんです。法律にも法律の大前提がある。国際社会で暗黙の大前提として、こういうことはやらない、やってはならない、という了解があるはずです。それを破ってしまったら国際社会そのものが成り立たない、という大前提はありうるわけです。
ドイツはそれを侵犯した可能性があるんです。つまり、ホロコーストとかジェノサイド、つまり民族皆殺しをやっていいなんて国際社会に向かっていったら、国際社会が成り立たないでしょう。したがって、ニュルンベルク裁判の「人類に対する罪」という意味を考えて見ますと、国際法の大前提という暗黙の大前提をドイツは侵犯したんだと思うんです。それで暗黙の大前提を事後的に明文化してみたら、人類に対する罪、ということになる。それでもって、ナチスがやったことは……と裁くことは許されると思う。
だとしたら問題は、果たして日本はあの戦争で、国際社会で暗黙の大前提を大きく侵犯するようなことをやったかどうか、ということになる。僕の結論では、そんなことはまったくやっていない。少なくともアメリカの原爆に比べたら、本当に無視していいくらいのことしかやっていない。それなのに、今の人たちは、ニュルンベルク裁判と東京裁判の区別すらついていないし、法律家たちもそういうことについて、何も議論していない。挙句の果て、国会で靖国参拝とヒトラーの墓参りを同列に話すような公明党の議員まで出てくる。

小林 日本とドイツは違うというこんな基本的なことまで、いまさらながら言わなければならないなんて、ため息が出るよ。

西部 本当ですね。しかも、六〇年たっているんですよ。戦争が終わって。

小林 唖然とするよ。もう、どうしようもないね。
そういえば、田原総一郎がいまさらながら、靖国神社そのものを肯定するようなものいいをするようになったんだけど、それが「赤紙を出したほうと受けたほう」という言い方なの。「赤紙組(赤紙で召集され戦死したもの)からみれば、加害者という言葉は慎むが、(赤紙を出したほうのA級戦犯たちは)甚だありがたくない人間たちなのである」だって。赤紙を出したほうが加害者、受け取ったほうが犠牲者であり、それが同時に祭られているという言い方をしている。これはへんないい方だよね。

西部 それは、中国的な、というより階級闘争史観の言い方ですね。

小林 A級戦犯を祀ってはいけないということを表立っていえないからって、今度は、「赤紙を出したほう」という言い方にしたわけよ。それが、いかにも説得力がある言葉だと、彼は思い込んでいる。だから、わしが「朝ナマ」に出た時、田原が「赤紙を出した人間と受けた人間が一緒に祀られているのはおかしい」って言ったから、わしは「何でおかしいんだよ」って言ったの。基本的に近代国家は徴兵制をやることによって生まれたわけだから、そうしたら韓国だってどこだって、いざ戦争をするときには、赤紙を出さざるを得ない。指導者側は召集令状を出さざるを得ない。それじゃ、指導者側は常に加害者で、赤紙を受けた兵士たちの側は全部犠牲者となってしまうから、近代国家の基盤が成り立たないんじゃないか、ということを言ったのよ。そうしたら、「空理空論はやめろ!」って言って、話を打ち切られちゃった(笑)
そういうことに対して、周りの人間も、全然おかしいと思っていないの。その言葉に、スーッと説得されてさ。

西部 大日本帝国憲法の大二〇条には、「兵役ノ義務ヲ有ス」という条項があったでしょう。そんな国家だったわけです。今だって世界中に、兵役の義務がある国家はたくさんありますよ。最近は、イスラエルのように、成年女子にも兵役の義務がある国もある。そういう国家をみんな認めていたわけでしょう。だったら、令状を出すほうの気持ちにもなれといいたい。何も、好きで赤紙を出していたんじゃない。戦争が起これば赤紙を出す義務のある役人が出さなければならない。それを、出した人間が悪くて、出されたほうが哀れな犠牲者というのは、憲法をなんと心得て議論しているのか! 僕にはまったくわからない。そこまで人間、愚かしくなれるものなんですかね。田原さんの頭の中では、憲法も何も、みんな空理空論なんでしょう。

小林 そういうわけがわからないことを言い始めるからさ。それなら、日本が徴兵制をしいて近代国家に生まれ変わり、それによって四民平等を達成したということ自体を否定すればいいじゃない。もういっぺん、幕藩体制に戻れ、差別のあった世界にもどれと言えばいい。それなのにそうも言わない。

ーー(本日の雑談7 小林よしのり、西部邁)