昭和天皇 | 忘れないようにメモメモ(日本の歴史、近代史)

昭和天皇

昭和天皇の「メモ」というものが「発見」されたそうですな。昭和天皇がA級戦犯を合祀することに消極的だったというメモが。
しかし、このメモに書いてあることがあることが本当だと、仮にするならば、陛下の考えは終戦直後とは変わってしまったということだろうか。


ーー引用
「敗戦に至った戦争の、いろいろの責任が追及されているが、責任はすべて私にある。文武百官は私の任命する所だから、彼らに責任はない。私の一身は、どうなろうとかまわない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」(『侍従長の回想』)


~天皇の第一の目的が、戦犯裁判には自分ひとりが法廷に立てばそれで十分のはず、と言いに来たことは明らかである。というのは終戦後間もない八月二十九日の『木戸日記』に「戦争責任者を連合国に引き渡すは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引き受けて退位でもして収めるわけにはいかないだろうか」


~なおマッカーサーのリークの中で、ある程度信頼できるのは、半藤一利氏が記されているヴァイニング夫人の記述であろう。次に引用させていただく(『天皇とマッカーサー』/『オール讀物』昭和63年11月号所収)「ヴァイニングは十二月七日の項で、マッカーサーが語ったと言う会談の“一問一答”をこう記述した。(わかりやすく書くと)

元帥 戦争責任をお取になるか。
天皇 その質問に答える前に、私のほうから話をしたい。
元帥 どうぞ。お話なさい。
天皇 あなたが私をどのようにしようともかまわない。私はそれを受け入れる。私を絞首刑にしてかまわない。
 ──原文では“You may hang me”と記載されているという」


~昭和二十三年十二月二十四日の『朝日新聞』の記事である。このころ、すでに十一月の十二日に極東軍事裁判所はA級戦犯二十五人に有罪の判決を下し、十二月二十三日、東条英機ら七人の死刑が執行された。これと関連して天皇の責任問題が、いわゆる進歩的文化人の意見発表や世論調査の結果などで連日報道され、退位問題がピークに達した時である。朝日新聞は次のように報じている。

「ある著名な人から天皇制護持のためにも退位を可とするという内容の著書が差し出された時、陛下は『個人としてはそうも考えるが公人としての立場がそれを許さない』という意味のことを洩らされた。(中略)さらに『国民を今日の災難に追い込んだことは申し訳なく思っている。退くことも責任を果たす一つの方法と思うが、むしろ留位して国民と慰めあい、励ましあって日本再建のため尽くすことが先祖に対し、国民に対し、またポツダム宣言の趣旨に副う所以だと思う』と述べられたそうである」
ーー
(裕仁天皇の昭和史 山本七平より)

 
陛下御自身が「文武百官は私の任命する所だから、彼らに責任はない」と言い、「責任はすべて私にある」と言っているのに?
なかには気に食わない人もいたでしょう。しかし「ハンコを押したのは自分だ」という意識が上の発言のなかに見えます。
今回のメモは正に正反対、臣下のせいにしてしまっている。どうなんでしょこれ?



 あの戦争において、昭和天皇に責任はなかったとはいいきれない。
「なぜ退位しなかったのか」と言う人もいますが、しかし当時の昭和天皇には在位・退位する自由などあったでしょうか。とてもそうは思えない。


ーー引用
~マッカーサーにとっては、天皇は、「捕虜の長」にすぎない。したがってすべて彼の思うままであり、戦犯逮捕の際、天皇を退位させたほうが占領政策に優位だと考えれば、それは即座に出来たであろう。彼は天皇の言質を取っている。おそらくマッカーサーは、天皇という「捕虜の長」とその言質との両方を「人質」にして、占領政策を進めるのが有利と考えていたであろう。
ーー
(裕仁天皇の昭和史 山本七平より)


ーー引用
 一九四六年一月二十五日、マッカーサーは、陸軍省宛に三頁にびっしりと文が詰まっている極秘電報を打った。この電報が天皇の命を救う。
「天皇を告発すれば、日本国民の間に想像もつかないほどの動揺が引き起こされるだろう。その結果もたらされる事態を鎮めるのは不可能である」「天皇を葬れば、日本国家は分解する」
 連合国が天皇を裁判にかければ、日本国民の「憎悪と憤激は、間違いなく未来永劫に続くであろう。復讐のための復讐は、天皇を裁判にかけることで誘発され、もしそのような事態になれば、その悪循環は何世紀にもわたって途切れることなく続く恐れがある」「政府の諸機構は崩壊し、文化活動は停止し、混沌無秩序はさらに悪化し、山岳地域や地方でゲリラ戦が発生する」「私の考えるところ、近代的な民主主義を導入すると言う希望は悉く消え去り、引き裂かれた国民の中から共産主義路線に沿った強固な政府が生まれるだろう」
 そのような事態が発生した場合、「最低百万人の軍隊が必要であり、軍隊は永久的に駐留し続けなければならない。さらに行政を遂行するためには、公務員を日本に送り込まなければならない。その人員だけでも数十万人にのぼることになろう」
 陸軍省をこれだけ脅かした後、「天皇が戦犯として裁かれるべきかどうかは、極めて高度の政策決定に属し、私が勧告することは適切ではないと思う」と外交辞令で長い電報を締めくくった。

~マッカーサーは、「天皇は退位を考えているだろう。あるいは、このA級戦犯裁判で出る判決が厳しすぎて、精神的緊張に耐えられず、心理的な冷静さを失い、自殺さえ考

えるかもしれない」と言った。しかし、退位のうわさはどれも「作り話でまったく実体はない」と自分を励ました。
 マッカーサーは、天皇退位の可能性は作り話ではないと知っていたのだ。マッカーサーには天皇が必要なのだ。マッカーサーも必死である。「天皇の退位は政治的な混乱を引き起こすだろう」とか、「私は天皇に思いとどまらせるため全力を挙げるつもりだ」とシーボルドに話した。

ーー
(国破れてマッカーサー 西鋭夫)



すべては占領軍の都合しだいだったと思う。
しかし言えることは、なぜ天皇が退位、もしくは天皇制度そのものが残ったかというと、当時の「国民の総意」が天皇を求めていたということじゃなかろーか。天皇が全国を回った時、大歓迎されていることが何よりの証だ。天皇を生かすことは、占領軍にとって占領を円滑に行うために有利と判断したからだ。マッカーサーも「混沌無秩序」「ゲリラ戦」や共産化はアメリカの国益に沿わないと思っていた。当時の日本国民の大多数が天皇制度を望んでいたし、許してもいたといえる。

このメモが嘘か本当かはわからないけれど、個人的にはどっちでもよし。終戦記念日があと少しというところで出してきたのは、天皇を政治利用していると、いえると思うなあ。



追記ーー

日経に電凸した人のブログ。とりあえず日経は胡散臭い。

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