したたかさ
引用ーー
「したたかな」アジアの国家指導者ー日本人は安月給で深夜まで働く
アジアの国家指導者は「したたか」であった。ビルマのアウンサンなどは。日本軍が優勢な時には協力したが、戦局が不利になるとクーデターを行って日本軍を攻撃し、連合軍への「反日の証」をつくり独立を達成した。フィリピンのホセ・P・ラウレル大統領、ベニグノ・アキノ国会議長(コラソン・アキノ元大統領の父)や、クロレラ・M・レクト外務長官などは日本軍に協力し、ラウレル大統領などは大東亜会議の出席者の仲で、最も感激していたと、バー・モウ首相に書かれている。(バー・モウ「ビルマの夜明け」)。また、マヌエル・ロハスは、ラウレル政権下で企画院総裁や食料営団総裁などを兼務し協力していた。しかし、米国に内通していたのであろうか、日本軍がマニラを撤退する時には浜本正勝の護衛で脱出したが、米CIA(対情報部)に逮捕されると、米軍から将官用の軍装一式が届けられ、米軍差し回しの将官旗を掲げた車両で隠れ家を立ち去り、その後に政界に復帰し大統領になっている。
タイも、開戦前年の一九四〇年六月には英米と相互不可侵条約、日本とは友好不可侵条約を締結し、日英米との等距離外交を展開した。しかし、戦争が始まり日本軍が優勢を示すと、一九四一年十二月二十二日には、「東亜新秩序の建設が東亜興隆と世界平和への途であると認め、その障害や禍根を除くために協力する」と書かれた日タイ軍事条約を締結した。そして、日本の圧力を利用して弱体化したヴィシー政権につけこみ、フランスに奪われていたカンボジアとラオス領の旧タイ領土を回復し、一九四二年初期には米英に宣戦を布告した。しかし戦局が不利となると、大東亜会議には、病気を理由にサンクラン・ピブン首相は欠席し、代理人のワンワイタヤコーン殿下で日本との距離を開き、さらに戦局が不利となると、首相を親日的であったピブンから抗日自由タイ運動派のクアング・アパイウォンに代え、親日派の大蔵大臣代理を逮捕し獄死させた。また、摂政プリディ・パノムヨンを中心に、重慶の米国戦略事務局(OSS)などと緊密な連絡をとってもいた。このため、日本の敗戦後には、米国からタイを敵国とみなさないとされ、英国がタイに課した講和条約も米国の斡旋で軽減されている。
インドネシアのスカルノ大統領は日本軍に全面的に協力したが、スカルノは、「私は日本の過去の行為を見極めてきた。彼らはファシストだよ。……私は彼らの残忍さをよく知っている。占領地域における日本人のやり方を知っている。それでもいいさ。……私は彼らが、我が人民のために何が出来るかを理性的に考えなければならない。われわれは日本人に感謝しなけりゃならんよ。われわれは彼らを利用できるんだから」と自伝に書いている(スカルノ述「スカルノ自伝」)。
一方、傀儡政権の代表といわれた満州国の張景恵総理は、部下が「日本人が実験を握っていて何も出来ない」とこぼすと「日本人ほど便利な民族はいないではないか。権利さえ与えておけば、安月給で夜中まで働く」と戒めたというが、確かに満州国は日本人によって大きく変わった。張景恵総理の大東亜会議時の演説によれば、建国当初の国家予算は二億七千万円余であったが、十年後には十六倍の四十四億五千万円、鉄道は六千キロから一万二千キロ、就学児童は五十万から二百五十万人に増えていたのである。(深田祐介「黎明の世紀」)
またチャンドラ・ボースも英国の「敵の敵は味方」と日本に協力したが、日本が敗北すると再び英国の敵のソ連の援助を得て独立を達成しようと動いた。しかし、これらアジアの指導者の中で、もっとも「したたか」な動きを示したのが、アジアの独立運動の先頭を切って中華民国を建国した孫文であろう。孫文は革命初期には日本に頼ったが、日本を追われると米国、次いで英国、フランスと流れ、再び来日し日本とともにアジア主義を提唱し、現在では台湾からも中国からも「国父」と尊敬されている。また、中華人民共和国を建国した毛沢東は、力のないときにはソ連に頼りコミンテルンの指導を受けたが、実力をつけるに従いコミンテルンから距離をとり、コミンテルンから派遣された軍事顧問のドイツ人オットー・ブラウン(通称、リトロフ、中国名、李徳)を無視し、最後には追放してしまった(姫田光義「中国革命に生きるコミンテルン軍事顧問の運命」)。
このように、アジアの国家指導者は、めまぐるしく変わる国際関係の中で、国際環境のパワーバランスの変化を巧みに利用し、独立を達成したのであった。日本人が学ぶべきことは、このようなアジアの指導者の「したたかさ」ではないか。ビルマのバー・モウ首相は、「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまた、その開放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸民族そのものから、日本ほど誤解を受けている国はない」と述べているが(バー・モウ「ビルマの夜明け」)、もっとも日本を誤解しているのは日本人自身ではないか。
ーー「日露戦争が変えた世界史」平間洋一
日本人は「卑怯」だと思ってしまうんだなきっと。しかし幕末勝ち残った薩長は十分に「したたか」さはあったと思う。長州は微妙だけど。
でもなあ~、どうやったら大東亜戦争が避けられたかっていうのは、正直わからない。それにまた避けていたとしたら日本がどうなっていたか、アジアがどうなっていたか。やっぱり戦うしかなかったんじゃなかろうかとか。堂々巡り。