アメリカの鏡・日本2 | 忘れないようにメモメモ(日本の歴史、近代史)

アメリカの鏡・日本2

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アメリカも戦争の後ろ盾に国民を統合するため、伝統を利用したのだが、とかくそれが忘れられがちだ。私たちは民主主義とキリスト教の名のもとに戦った。「天皇制」と神道が本来、戦争を内包しているのに対して、民主主義とキリスト教は本来、平和であると私たちは主張する。日本の学童が天皇の肖像に最敬礼をしたのは、アメリカの学童が「国旗に忠誠を誓う」のと同じ国民的儀礼だが、私たちはそれを見ようとしない。
 天皇は「われわれ天皇と国民……の結びつきは単に伝説と神話によるものではない」と宣言したが、日本人の立場からすれば、ごく当たり前のことを言ったにすぎない。日本人が天皇を尊敬するのは、天皇が超自然的、超人間的存在であるからではない。長い歴史と伝統文化の表象としての制度を崇拝しているからである。日本の天皇は、アメリカの星条旗、あるいはアンクル・サムのようなシンボルなのだ。
 私たちの国旗は軍事的象徴ではない。それと同じように、戦争がなければ、日本人にとって天皇は軍事的象徴ではなかった。
 「天皇制」と「国家神道」は、私たちが民主的と呼ぶ世界のどの国でも、国の特性に応じてさまざまに現れる現象である。神話は日本人にとって民族主義の象徴に過ぎないのだが、私たちはその事実に目を閉じてきた。心情的国家意識は戦争の大きな要因であると同時に、戦争遂行に必ずかかわってくるものである。それを問題にするなら、連合国も私たちも無罪とはいえない、私たちアメリカ人には統合の心情的象徴となる皇室はないが、私たちの民主主義同盟であるイギリスは王室を持っている。
 第二次世界大戦前、イギリスの王族がイギリス外交への支持を求めて訪米した時、アメリカの新聞、雑誌、政府指導者は彼らのことを、日本の皇室に対して言ったように、「恐るべき病根」とはいわなかった。第二次世界大戦中、英王室が南アフリカを訪問し、戦略的に重要なこの地域に対する外交政策への国民感情の結束を図った時、私たちはそこに天皇崇拝や国家神道の示威をみなかったし、帝国の権威、あるいは帝国への連帯感を高めるために、英外務省が王室を利用しているとも思わなかった。
 国家神道を考えるうえで、ここに注目すべき発言がある。これは日本人が日本の神道について語ったのではない。オーストラリアの出版界を代表する
キース・マードック卿が一九四四年、ロンドンで開かれた大英帝国首相会議の帰途、アメリカで語ったものである。
 「五月、ロンドンで開かれた大英帝国首相会議は、帝国の象徴であり、イギリスの血、イギリスの文化、伝統を信奉するわれわれの最高聖職者である国王に対する国民の忠誠心を示すものとなった」
 もちろん、イギリス人は、国王、帝国、イギリスと血と文化に対する忠誠心を「国家神道」といいはしない。しかし、神話を別にすれば、日本人にとって「国家神道」が神社、英雄、日本国と帝国を表すシンボルに対する国民的、心情的崇拝であるのと、現実には同じなのである。
 日本とイギリスの「国家神道」の違いは、日本人が天皇の地位を神話に求めているところにあるのではない。もし天皇が英王室のように外国の政府や国民に自国政府の親書を運んでいくようなことをしたら、少なくとも占領以前の日本人には心底ショックだったろう。そこに、大きな違いがある。つまり、つい最近まで日本の神道はあくまで民族内部の信仰だったのだ。
 国家神道とは組織化された民族主義であり、教会と国家が民族文化、理想、「国益」の栄光のために、たがいに補完し合う体制であると言い換えることができる。この体制を、社会的病根であるとか、日本特有のものであるとかいって否定する前に、民主主義国家イギリスが数多くの国家行事を荘厳に執り行う体制的教会をもっていることを考えてみる必要がある。
 国民の九〇パーセントがカトリック信者であるイタリアが、ムッソリーニ主義を受け入れ、アビシニア爆撃を許したのは、いったいどういうことなのか、思い起こすのもいいだろう。アメリカでさえ、戦争中は多くの教会が祭壇の後ろに星条旗を掲げ、礼拝の中で国家を歌っていたのである。
 私たちアメリカ人は、平時には、愛国心を当然のものとして表に出さない。アメリカの歴史や国家に命を捧げた人に対する尊敬の念を表す七月四日(独立記念日)とか戦没者追悼記念日以外は、愛国心を表に出して騒ぐ国民ではないが、戦争中は、私たちも国家神道を絶えず感情的に表現してきたのである。日本人を教育して心情的国家意識を捨てさせたいと思うなら、まず私たちの心情的国家意識を捨てるべきである。
 すべての心情的国家シンボルは、英王室であれ、星条旗であれ、ソ連のハンマーと鎌であれ、日本の天皇であれ、本来反社会的であり、戦争の原因ともなるものである。私たちはそのすべてを告発することが出来る。しかし、そうしたシンボルのいっさいを同時に否定してこそ、特定のシンボルを否定する姿勢が公正に見えるのである。
 
2 誰のための改革か
日本人の「戦争願望を形成する経済・社会制度」改革するという私たちの計画は、今まで考えていたものより、ずっと広い意味を持っている。私たちは日本の制度、戦争を生み出さずにはおかない、この独特で伝統的な制度を、私たちの制度と同じものに変えようとしている。私たちの立場から見れば、私たちの制度は本来、戦争に反対するように出来ているのである。
 しかし、アジアの視点で見ると、私たちの改革は、日本の伝統文明ではなく、西洋文明の告発なのだ。日本人が私たちの「改革」をみれば、私たちが日本文明の中で変えようとしているのは、ただ一つ婦人参政権でしかないことに気づくだろう。
 改革はむしろ西洋化された日本、一八五三年以来発展してきた制度を対称にしているのだ。この制度は、今日、日本の伝統的侵略性を非難している欧米諸国が、初めて日本を「占領、改革」した結果として、できあがったものなのだ。
 たとえば、私たちは「ザイバツ」を解体しようとしている。しかし、ザイバツは、この言葉のまがまがしい響きにもかかわらず、単に日本のモーガンであり、デュポンであり、フォードであり、ロックフェラーであるにすぎない。これらの銀行や企業は私たちの社会では、昔から尊敬されてきた社会のリーダーだが、日本でザイバツが敬われるようになったのは近代に入ってからのことである。近代以前の伝統的な日本社会では、この種の人たちは、経済の不安定要因として排除されていた。日本の財閥とアメリカの企業には、さまざまな違いがある。しかし、企業家の社会的地位、機能、意味を日本の近代以前と近代以後で比較した場合のほうが、違いは大きいのである。
 私たちは日本の貿易を厳しく管理している。将来とも制限し統制する方針である。しかし近代以前の日本も貿易を徹底的に規制していた。そして、日本が私たちとの貿易を拒否したとき、私たちは砲艦を持って政策の変更を迫ったのだ。
 私たちは日本が再び軍備をもたないように指導している。近代以前の日本は軍隊らしい軍隊を持っていなかった。対外関係がなかったから軍隊の必要もなかったのである。「国」と「藩」の政府が、各自の防衛に当たる「武士」という名ばかりの小軍事集団を持っていたにすぎない。
 日本が国際社会に組み込まれる以前の二百五十年間、日本人は国内の平穏を享受しながら、外国から隔絶されて暮らしていた。したがって刀で武装した彼らの軍隊は、たまさかの農民反乱を鎮める以外に、する仕事はなかった。現代のアメリカで州兵と連邦軍がときおり、工場労働者のストライキや賃上げ要求デモ、その他の治安維持活動に出動しているのと同じである。
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アメリカの鏡・日本3につづく