アメリカの鏡・日本より | 忘れないようにメモメモ(日本の歴史、近代史)

アメリカの鏡・日本より

(アメリカの鏡・日本 ヘレンミアーズ 伊藤野延司訳)

引用ーー

日本民族は太平洋地域のほかの民族──中国人、マレー人、インド人、白人──と異なり、何世紀にもわたって戦争技術と武士階級の忠実なる信奉者であった。彼らは太平洋で武力を振るうべく生まれついた民族であった。彼らは日本の武は常に勝利すると言う自らの不敗性を確信し、武士階級の英知に対する神話的信仰は、日本民族の文明の基礎となった。この信仰は全政府機関のみならず、日本人の肉体、感情、精神にまで浸透し、支配しているのである。
 ──ダグラス・マッカーサー将軍、東京、1946年9月2日


(キリスト教は)われわれの国家が拠って立つ土台を作ったのです。そこには、倫理の偉大な力がありました。われわれの不敗の軍がオーストラリアから日本帝国の心臓部に向けて怒涛の攻撃をかけるとき、われわれの銃座を確固として支え、標準を的確にとらえさせてくれたのはこの力でした。
 ──同、1947年1月12日(宗教教育国際会議事務局長、R・G・レス博士に宛てた書簡、AF)


1 神道からの開放
 日本占領は、日本の侵略的軍事機関の破壊に必要とされた期間を経過した後も、「戦争願望を形成する経済・社会制度」と日本人の性格を「改革」するという論理で、引きつづき正当化されていった。占領の正当化は一つの仮説に立っている。すなわち、日本人は異常に侵略的な修正をもっているという仮説である。そして、私たちはそのわけを知っていると信じている。だから、私たちは日本人の好戦的根性と制度を「再教育」し「改革」することができるというわけだ。
 しかし、人はこの仮説を信じようにも、日本人を侵略的民族ときめつける私たちの理由があまりにも曖昧だから、はたと行き詰ってしまうのだ。私たちは、日華事変、パールハーバーに始まり第二次世界大戦中の全事件を説明する時は「日本人は生まれつき好戦的な民族だから侵略的なのだ」という。そして、この論理を日本人の歴史、伝統、文化全体に拡大してきた。
 日本人は近代以前に「戦争美」を創出し、「武士階級」を崇拝し、常に「軍事独裁者」統治され、天皇を生きた「軍神」として崇めてきた。そして日本人の宗教である神道は日本人を優れた民族と信じさせ、神である天皇を世界に君臨させるため日本人に「世界征服」を命じている。私たちはそう教えられてきた。
 こうした日本人感が熱っぽく語られ、広く喧伝されてきたから、かなりのアメリカ人は本当のことだと信じてしまった。一九四四年二月、米キリスト教会会議はルーズベルト大統領に宛てた電報で「神聖なる天皇と皇祖の加護の力」を信じる日本人の蒙昧を覚ますために国家神道の二つの神社を爆撃するよう要請した。一九四三年夏に行われたギャロップ調査では、三三パーセントが天皇の処刑に賛成意見だった。これに対して天皇の意見は問わないとする意見は四パーセントに過ぎなかった。
 私たちの戦後対日政策には、神道と「天皇制」は本質的に戦争を作り出すものであるという考え方が組み込まれている。私たちの政策立案者がそのように考える一方で、天皇を戦争犯罪人にしなかったのは明らかに矛盾だが、日本人を占領軍に協力させるためには、この政策は政治的に正しかったことが明らかになっていく。しかし、天皇の戦争責任は問わなかったにもかかわらず、占領当初の指令には、日本人の生活様式からこうした邪悪な権力を排除するために日本を占領していると言う前提があった。
 私たちは国家神道を廃止し、神社や神官に対する国費の支出を禁じた。私たちは、日本の歴史、道徳、地理から「軍国的」神話を「祓い清める」までは、学校で教えてはならないと命じた。私たちは、全国に若いアメリカ人チームを派遣して、学校の教室に飾られている天皇の肖像、写真、博物館などにある神道関係の遺物は見つけしだい押収させ、天皇の政治権力を否定する新憲法草案の検討を始めた。そして、ついに天皇は私たちの「指導」に従って、次のような声明を出した。

われわれ天皇と国民は常に相互の信頼と愛情を基に結ばれてきた。その結びつきは単に伝説と神話によるものではない。天皇は神であり、日本国民は他の民族より優れているがゆえに世界を支配すべく運命づけられているという誤った考えに基づくものでもない。

 アメリカの新聞は、この宣言を「神格の放棄」であり、日本人固有の戦闘的性格を矯正する第一歩であるとして歓迎した。この奇妙で魅惑的な物語風やり取りは、派手で面白いが、日本国民を「平和愛好」民族にするという現実問題から、私たちに目をそらすものだ。日本人の戦争は神道の神々の命を受けて、天皇を世界の王座に就けようとするものだったという。まるでポール・バニヤン(訳注=アメリカの伝説的英雄)の「青い雄牛」みたいな荒唐無稽な話を信じるのと変わらない。
 神道と天皇崇拝は日本人の民族感情にとって重要な文化と宗教の伝統を表すものだった。これは、他の民族が固有の文化、宗教の伝統を持っているのと同じ国民感情である。伝統の力が強ければ強いほど、国家存亡の時には、戦争計画の国民統合に利用される。しかし、伝統が戦争の大儀なのではない。ひとたび戦争が決定されると、伝統は防衛という名の戦争計画の背後に国民を統合するための手段となる。そうすることによって、為政者は複雑な戦争理由をわかりやすくするのである。

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アメリカの鏡・日本2につづく