ICUに入り恐らく4、5日か。

上半身が自力で起こせるようになった。

寝たきりの状態があまりにも長くてマットレスが自分に合っていないせいか、とても背中が痛い。

尋常ではない痛みだ。

部位で言えば肩甲骨だ。

かなりの痛みで寝ていられなくなり体を起こす事を繰り返すようになった。

起き方は手を使わずに、両足をベッド柵に掛け、腹筋を使って上体を起こす方法だった。

起こしては数分動かず、肩甲骨の痛みが和らぐまで休んだ。

しかし今度はその体勢が腰の痛みに置き換わっていく。

そしてまた起き上がる方法の逆で寝転ぶ。

この動きを数時間繰り返す事になる。

肩甲骨の痛みが胸の手術の痛みを上回るほどになってきた。

寝ている体勢はほとんど変えることは出来ない。

ずっと上向きのままだ。

寝返りも横向きも出来ない。

寝ているのがこんなにも苦痛な思いをしたのは初めてだ。

たまらず看護士さんに痛みを訴える。

ある一人の看護士さんがピンポイントで肩甲骨をマッサージしてくれた。

今までで一番効いたマッサージだった。

このままずっとしていて欲しい。

終わらないで欲しい。

多くの看護士さんが居る中でマッサージしてくれた方はその看護士さんだった。

つい多くを望んでしまう自分。

看護士さんはマッサージ屋さんではないのに。

その看護士さんとの数少ない会話で教えてもらった事がベッド上の生活を少し変化させた。

自分が背中や特に肩甲骨と、胸の手術の痛みもあるが胸全体がしんどい事を話すと、

ずっと寝ていると肺が潰れ気味になり横に広がるような感じになって本来の肺の機能が落ちるので、上体を起こせるなら起こした方が肺の形が保たれて楽になりますよ、と教えてくれた。

この助言からベッドの上半身を少し起こしてもらい、上体を起こす時間を増やした。

同時にベッドの操作を自分で調整出来るようになり、ほんの少しずつではあるが動ける範囲が増え始めた段階になった。

しかし胸の痛みも軽くなったとは思えない。

あとから聞いた話だが、胸の痛みは決して傷口の痛みだけではない。

右乳首付近から切開し心臓までアクセスした際に胸の組織を開いた痛みが出ていると。

開口部から心臓までは20cmくらいはあるだろうか。

その距離を胸の中を危機がこじ開けながら通ったのだ。

その痛みが胸全体を切り刻まれたような痛みになっていたのだ。

痛みと言えばまだあった。

喉の痛みだ。

手術の際も経食道心エコーを使用すると聞いていた。

手術前検査でやってもらったあの機器だ。

あの時と同じ痛みが再び喉に再現されていた。

あちこち痛みで心が折れそうになったが少しずつではあるが良くなってきている。

看護士さんとの会話も当初よりできるようになってきた。

会話が痛みを少しだけ和らげてくれるように思えてきた。

 

この頃から食事も普通の食事が口にできるようになり、食欲も出てきた。

自分は基本的に右利きだが、箸と棒状の持って作業するような動作は左利きだ。

左手の麻痺で箸は使えないが、右手でも箸は使える。

食事は手を借りなくても難なく済ませることが出来た。

ただ食器が持てないので行儀が悪いように見えてしまう。

姿勢も背中を丸めるように格好が悪い。

自分の左肩越しに見える左手は正気がなくダラっとぶら下がっているだけの状態で、この先の人生を悲観する光景であった。

でも全く動かないという感じではない。

自分の膝の上に持ってくることは出来た。

だだ食事の茶碗を持ち上げる力とコントロールがない。

ちても不思議な感覚だ。

肩っから手の甲まではしびれはなく、小指から順に薬指、中指までしびれ度合いが違う。

小指が一番しびれており嫌な感触が継続している。

自分は一生このままなのか、いや、寝て起きたら治っているだろうと思っていた。

こんなふうにベッド上の生活が、時間が過ぎるだけのものから麻痺もありつつでも、少しずつ痛みが薄らいでいく感覚を感じ取れていた。

 

恐らく 5日目くらいか。

手術前に会った理学療法士さんが来られ、そろそろ歩く練習をしてみましょうか、と。

こんなにも長く歩かなかったことはないので不安だったが、横で支えてくれるというので安心して体を預ける事にした。

ベッドから両足を下ろし、もう一人のスタッフと一緒に両脇を支えてもらい、ゆっくりと立ち上がる。

おぉー立てた。

自分の脚ではないような感覚だ。

このまま少し歩いてみましょう、と数十メートルゆっくりと歩いた。

両脚をゆっくり確実に動かすイメージで、しっかり床を踏みしめるように歩いた。

とても嬉しく、体の痛みも忘れるほどだった。

院内を周回し、時間にして5分くらいでICUに戻り、またベッドへ。

本当に短いがリハビリ段階の入り口に入っていくのが分かった。

理学療法士の方はとても優しく声を掛けてくれ親身になってサポートしてくれる感じだ。

つい背中の痛みを訴えてしまい、ここでしょう、と肩甲骨の痛みをズバリ命中させた。

寝ている自分の肩甲骨に指先を揃えてグリグリとほぐしてくれた。

ピークに達していた痛みのよなコリが、全身がのけぞるような痛気もちいい押さえで快感だった。

ずっと続けて欲しい。

そんなワガママを考えすにはいられなかった。

しばらくは痛みもコリも軽くなり楽になった。

でも数時間で痛みが戻ってきた。

よほど合わないマットレスなんだろう。

これが自分にとって固いのか柔らかいのかも分からない。

 

そんな中、術後初めての便意が来た。

ICUに来て何日か。

歩く練習をし始めてからで良かったと思えた。

とても寝たままオムツにする事は自分には出来ないと考えていたからだ。

この日の担当の看護士さんに声を掛けるしかない。

今日の看護士さんは若いイケイケ風の方だ。

自分はどうすればいいのか尋ねた。

すみませーん、おっきい方が出そうなんですけど。

じゃポータブルでしましょう。ちょっと待ってください、持ってくるんで。

マジか、この部屋でするのか、出来るかな。

すぐにポータブルトイレを持ってきてくれ、じゃ立ちましょうか、と看護士さん。

トイレを前にして自分のズボンをサッと下ろしてくれた。

とても恥かしくすぐにトイレにすわった。

すっごい臭いんですけど自分の、大丈夫ですかね、恥恥かしさを隠すように話しかけた。

大丈夫ですよ、消臭スプレーするんでー、と返してくれた。

あれ?出ないかなぁと思いながら、時間はかかったが無事出す事ができた。

食事する事は弁を出す事に直結していると、人前で弁をする抵抗感がここで楽になった瞬間だった。

看護士さんはとても優しくスマートにトイレを処理してくれた。

 

この頃、妻が自分に必要と思う物品を差し入れてくれていた。

コロナ禍で顔を合わす事が出来ないが、電話では話が出来ていた。

妻は自分が予期せぬ脳梗塞が起こり、麻痺もあるというショックで仕事をしばらく休む事になっていた。

そんな中、色々考えて持ってきてくれた物にラジオがあった。

ラジオは自宅でもクルマでもよく聴いており、時間の長い入院生活には必要だと持ってきてくれた。

一緒に長いコードのイヤホン。

昼間も夜中もイヤホンを通してラジオを聴いた。

お陰で体の痛みや麻痺もまぎれ、時に忘れさせてくれた。

 

相変わらず昼か夜か、時間も分からない時が続いていたが、ラジオ番組が時間の認識をさせてくれた。