特に前回何も告げられている事は無い。
今回で最後のリハビリになる事を。
自分から、そろそろ卒業ですか、と言った言葉通りなぞるように今回で最後のリハビリを迎える事になった。
いつも通りの挨拶から始まり、いつものように妻を交えての雑談のような最近の状態の報告。
先ほどの診察でMRI検査でも問題は無く、眠剤もやめられた事で、治療を終えた事を伝えた。
治療が終わった事は病院にとっても患者にとっても喜ばしい事で、最大の目標はここにある。
外来担当の作業療法士さんも笑顔で、それは良かったですね、と喜んでくれた。
自分も笑顔で返し、雑談混じりの会話が続いた。
PPPDによるめまいの話にもなるのだが、深くは聞いては来ない。
恐らく、他の病院に診てもらっている以上、余計な話にならないように配慮してくれているのではないだろうか。
PPPDについては自分からも多くは触れず、今の仕事の状況やクルマの運転、菜園や普段の生活の事を話した。
なんとなく、いや、やはりこれが最後のリハビリになるのかな、とそんな柔らかな空気感の中、雑談は進んだ。
そしてこれまでのテストで出た評価の話に入った。
麻痺のある左手の運動機能や知能の客観的評価結果だ。
非常に多くの項目があり、一つひとつはよく覚えていないが、全体的には大きな問題はないようだ。
健常者の数値と比べ目立って劣るところはなく、生活に支障が出るような結果ではないという。
高次脳機能障害もなく、良い結果にひとまず安心した。
大体のことは分かっていたが、とりあえず喜ばしい事だ。
しかし、自分にとっては、これくらいの後遺症でも以前とは比べものにならないハンデだ。
とてもこの評価だけで納得できるものではない。
この気持ちはこれまでと全く変わらない。
だけどこれからも歩んでいかなければならない。
前に進まなくても、横にでも、後ろにでも。
そして何事にも、なんとかなるさ、深刻に考えても考えなくても、そう変わらない、と思えるようになった。
その心がけは仕事にも生きている。
それは正義感や正しい事を追求することで、結果苦しくなる事があった。
いくらそれを追い求めても、多くはは何も変わらない事に気づいた。
まるで何も考えない海の波に、小石を投げて小さな波紋を生んでは一瞬でかき消され、なんにもならないように。
これを悟ってからは気持ちを楽にしよう、波はいつだって全ての海で起きている、と思うと気持ちを軽くする事ができた。
自分に余計な負担をかける事なく過ごせるようになった。
この評価もそう思える。
ある制度の中で考えられた基準にラインを引かれ、それ以上か、それ以下か。
いくら何を訴えようが、全くそこには届かない。
自分だけが知るグレーゾーンは、これ以上人に何を言っても他人が体現出来るものでもない。
あとは自分の落としどころを見つけるだけだ。
落としどころとは、妻が自分によく言う言葉だ。
治療やリハビリ、薬の服用を続けても、どうしてもこれ以上の改善は望めないことがあり、それに気づき、受け入れることだ。
自分でもなんとなく理解しているつもりだ。
大事なのは深刻になりすぎず、楽しく心豊かに過ごせるように気持ちを持つことだ。
どの後遺症も生活に不便さを感じるが、多くの人には経験出来ない事を自分は経験している。
理想や幸せを追い求めるのではなく、今ある幸せを感じれる自分になれている。
様々な気持ち、考え方になった今の自分は、この評価結果を聞き、葛藤もありつつ、すっと飲み込み、受け入れた。
そんなところで今回で最後になるんですけど、また何かあればすぐに来てください、とやっと外来担当の作業療法士さんからリハビリ終了の言葉が出た。
ここで言う、何かあれば、とは何か異常を感じたらすぐに診察に来てください、という意味に決まっている。
当たり前だ。
何かあったら、ここのリハビリ室に来てくれ、という意味では勿論無い。
今思えば、循環器の病院に入院中の自分がここにハビリ治療をする為に転院しようと妻に連れてこられ見学した時、この外来担当の作業療法士さんが対応してくれた。
あの時の事覚えてますよー、なんか不貞腐れてましたよね、と自分の印象を笑顔で話してくれた。
あれから1年半が経過し、長くお世話になったお礼を伝えた。
こうして最後のリハビリを終え、これまでの感謝の気持ちを妻も重ねて伝え、いつもの感じでリハビリ室をあとにした。
妻と二人歩きながら、終わったね、終わったなぁ、とそれ以上言葉にならない寂しさで夕暮れの病院を出た。