12月も中旬を過ぎると毎年行うのがクルマのタイヤ交換だ。
冬用のスタッドレスタイヤの着用が必須な職場に通う自分は毎年恒例の作業だ。
自分の住む地域は雪が積もらなくても、職場は山頂にある工業団地で、山を登れば雪が積もっている事が普通にある。
天候により山のふもとから積もっている事もある。
しっかり降れば登れなくなるクルマが続出する。
平地なら冬用タイヤさえ履いていれば問題のない地域だが、山はかなり事情が違ってくる。
新雪ならまだいいが、圧雪された坂道は手強い。
新雪を狙って普段より2時j間早く家を出る事もあった。
新雪なら登れる。
圧雪なら登れない。
結構な傾斜のある上り坂をクネクネと曲がりながら進む必要があり、どうしても登れないクルマが出てくるのだ。
頂上付近の終盤には長めの下り坂が待ち構えており、時に滑り台の如く滑るポイントが存在する。
冬用タイヤでも優しくブレーキを踏んでも簡単にロック&ABSの作動がガガガガっと体験できる。
うっひょー、と言いながら雪の通勤道は大嫌いだ。
若い頃は後輪駆動車に乗っており、ワクワクしながら登っていたものだが、今のクルマもなぜか後輪駆動だが、全く嬉しくない。
実は過去に1度登れなくなった事があり、その時の無力感が今だに残っている。
その時は自分の前後に何台ものクルマが動けなくなり、大渋滞を引き起こした。
急な坂道を曲がりながら登るところで1度止まると、もう動けない。
こんな体験が冬用タイヤを欠かさず購入し取り付けるという原動力になっている。
その代わり、繊細なクルマの操作も知れた。
駆動輪にパワーをかけ過ぎないよう、マニュアル車だったので1速高いギアを選び、アクセルとブレーキは踏み込み過ぎないよう、踏むのではなく足の指先に力を入れるようにして加減した。
それでも後輪が滑り出し、おしりが外へ出てしまうが、繊細に操作していれば、その挙動はとても穏やかだ。
慌てず、クルマの鼻先が内側に向き過ぎたのをじわっとステアリングを進みたい方向に戻してやる。
こんな事を楽しいと感じながら通勤出来ていた若い頃の自分。
もう今は安全に走れるクルマがいいと考えてしまう。
しかも左手の麻痺と視野欠損の四分盲を抱えては、運転自体が重荷だ。
早く完璧な自動運転車が登場し、一般に普及して欲しいと願ってしまう。
走る喜びは薄らいだが、クルマは必須だ。
体に不自由があれば尚更だ。
どうだろう、自分が生きている間は、そんなクルマ社会にはならないかな。
今はこんな事を考えてしまうようになった。
歳のせいもあるが、これくらいの後遺症でも、そう考えさせられてしまう自分だ。
後遺症は、自分を随分と弱気にさせた。
あれからもうすぐ1年。
でも、これからどれくらい自分が向上出来るのかが楽しみなところもある。
クルマのタイヤ交換で言えば、自分は毎年、12月と3月にノーマルから冬用、冬用からノーマルに交換する。
前回は退院直後の4月にノーマルに戻す作業をした。
退院直後と言えば、今思い返すとはっきりと判る。
自分は確実に前進していると。
8ヶ月前は一人でタイヤ交換作業が出来ず、次男に手伝ってもらった。
ジャッキアップはなんとか出来たが、タイヤを少し持ち上げて車体にはめる作業が麻痺した左手では出来なかったのだ。
その時は随分ショックだったが、あれから普通の生活を取り戻しつつ、今回は一人で作業が出来るまでになっている。
タイヤ交換が出来る、出来なかった事がひとつ出来るようになった事が嬉しく感じる。
行動してその時ダメでも、その後出来るようになるという体験こそがリハビリだ。
出来なくても、ダメではなく、後で振り返り、それはただの指標にすればいい。
出来なかった事が失敗ではなく、ただの過程だったのだと。
作業に費やした時間も以前とほぼ変わらない。
めまいもあって、しんどさはあるが、今後も何とかやれそうな気がする。
妻は言う。
次からお店に持って行って頼んだら、ずっと出来る訳じゃないんだから。
これから年齢も重ねていく事を考えての助言だが、リハビリのつもりで、もう少し頑張ろうと思う。