3者面談が無事終わった。
病院を出て3人はクルマのある2方向に別れた。
1方は自分一人。
もう一方は産業保健総合支援センターの方と会社の人だ。
二人は普通に話しながら歩いて行った。

自分の運転で家までトラブルなく帰る事が出来た。
帰りの道中は、あまり記憶が無い。
運転に集中していたのか、面談後の影響だったのか。
嬉しいというより、安心とか安堵といったところが大きい。
気持ちの高揚感みたいなものは特にない。

今思うのは、これで療養中という名の宙ぶらりんの生活にも一区切り出来そうな事にホッとしている事だ。
社会復帰して自分が役に立てる状態なのかは正直判らない。
事故なく通勤出来るだろうか。
今までやっていた仕事が、騙し騙しでも出来るだろうか。
迷惑をかけないだろうか。
考えればキリがない。
今からこんなんではダメだ。
本来の自分らしく、何も考えないようにしよう。

夕方妻が帰宅し、今日の報告をした。
喜んでくれた。
山あり谷ありでも、大事なポイントで望んだ方向に進んでいる。
困難があったが、運がいいよ、と妻は言ってくれる。
自分もそう感じれるようになっている。
後遺症があるが、プラスに考えればマイナスな事を超えるくらいのプラスがあった。

妻に面談で会社の人からパートの打診があった事を話した。
条件は、1日9時から16時までの6時間、時給は〇〇円で、今の給与より大体〇○円少なくなる、って。
妻は、いいじゃん、と。
えーーーっ給料がこれだけになるんだよ、と意外な感想に自分は驚いた。
いいと言っているのは時間だ。
目が見えにくくなり、通勤が心配で、通勤時間帯の混雑を外せる事。
他には朝ゆっくり出来て、夕方も早く帰宅できる事。
この療養期間は毎日のように妻と夕方あちこち出かけ、楽しい時間を過ごせていたからだ。
しかしだ。
お金は、生活はどうする。
いいのよ、なんとかなるよ。
いや、ならんでしょ。
こうして本気ではないテキトーなやり取りが出来るのも、生活基盤があってこそだ。

それにしても産業保健総合支援センターの方の返しはお見事だった。
特に難しい事は言ってないとは思うのだが、第三者で産業保健総合支援センターの立場で、というのが強かったと思う。
同じ事を一従業員の自分が言えば炎上するだろう。
これが言えないのが第三者と従業員の大きな違いだ。
言えば火に油を注ぎ、大炎上だ。
整合性のない事を言われ黙るしかなく、これまで何人もの従業員が去って行ったが、この方にはやはり通じなかった。
以前にも綴ったが、第三者で一目置くような人が居れば言動が変わる、が起きたのだ。
自分一人では復職は叶わない。
戦わずとも十分わかっていた事だった。
負けて勝つ。
産業保健総合支援センターの方のチカラを借りなければ絶対にこの結果は得られなかっただろう。
改めて色んな事を再認識出来た。

でも、これらの事は置いといて、復職できる事、させてもらえる事に感謝だ。
これは大事な事だ。
一人の従業員を背負う事は、自分には想像も出来ないような重荷だろう。
無理はせず、少しずつでも何とかやっていければいい。