妻から、自分のクルマで勤め先まで一緒に行ってみよう、と提案された。
不安要素は視野の欠けとめまいだ。
通勤経路を通ってみて改めて注意すべき箇所はないか、自分の視野で実際どうなのか、確認したいのはこの2点だ。

 今日はよく晴れた日だ。
4ヶ月以上運転してない自分のクルマだ。
これまで動かなくならないよう、たまに妻に動かしてもらっていた。
おかげでエンジンもスムーズに始動出来た。
少しだけ恐る恐る前進して駐車場を出て車道に入った。
この道路はクルマ1台分の幅しかなく、次はいきなり塀に囲まれた鋭角に110度くらい左に曲がり、次の道路に入る。
気を付けて、と妻。
その道路も比較的狭く、センターラインの無い、クルマが2台すれ違うのに気を遣うくらいの幅しかない。
場所やクルマ、運転手によっては止まってすれ違いをやり過ごすところも数カ所ある。
見通しも悪く、制限速度は30kmだ。
この道路を1kmも走れば少し広めの道になり、勤め先までは狭い道はない。
家を出てからここまでがクリア出来れば、あとは心配ないかなと自分では思っていた。
実際運転してみると、やはり視野の欠けが辛い。
自分の見ている景色がこれまでの通勤の景色と違うように感じる。
狭く気を遣うところは自分の見ているものが疑わしい。
ゆっくり、ゆっくりと進むが、隣の妻は、もっとゆっくりでいいよ、と訴える。
カーブミラーに何が映り込んでいるのかもよく分からない。
恐ろしい。
ここは、今は隣に妻が居てくれる。
妻は自分より見えているし見てくれているだろうから、自分はとにかく慎重にゆっくり走ろう。

国道に入り片側2車線だ。
少し走ると右折レーンに入るので右側を走行する。
これだ、これが怖い。
右車線を走って前の車を見ると、左車線を走るクルマがすっぽりと見えない。
キレイに見えない。
見事に見えないので恐ろしい。
逆に対向車を走る右側は依然と同じように見える。

クルマを運転するとよく分かる自分の四分盲というヤツ。
クルマ1台が見えないと言うよりは、存在しないと表現した方が、より適切か。
先日も、知人から尋ねられた、見えないってどう見えるの、黒いの、と。
自分は、頭の後ろって見えないし黒くはないでしょ、それが視野の中にあって、自分の場合は中心付近にあり左下4分の1と、すぐ右にも欠けがあるのよ、と。
この視野で見える世界は自分のあらゆる行動を嫌でも躊躇させる。

あれよあれよという間に景色が進み、右折や左折をクリアしていく。

左折でも怖い思いをした。
左に曲がり、左折を完了する時、対向車線に入ってしまいそうになった。
妻も、こっちよ、こっちよ、と慌てた様子。
これは先日の自動車学校に行って路上運転に出た時も同じような場面があった。
恐らく左側が見えない分、左に小さく曲がれないのではないか。
2回同じ思いをしたので、今後左折はこの点に注意しよう。

勤め先が近づいてきた。
ある地点からはクルマの往来が減る。
スピードを抑えながら優しい運転をこれまで以上に心がけた。
こうして勤め先の目の前まで無事来れた。
向きを変え、今度は来た道を戻る練習だ。

こうして初の運転再開の練習を終えた。
自分としてはヒヤッとしたところはあったが、ゆっくり慎重に行けば何とか大丈夫かな、と思えた。
どうにもこうにも出来ないとは、ならなかった。
あとは実際の通勤になった時はどうか。
渋滞や、雨、夕方、夜、雪等、条件は様々だ。
果たして対応できるか。
その反面、病気をする前のように、ちょこちょこクルマで出かけるなんて事は出来そうにない、とも思えた。
実際時が経ち、慣れていくものなのか、今は分からない。

道中、建物が新しく出来ていたり、無くなっていたり、たった4ヶ月とはいえ、変わっている所が数箇所あり、時の流れの速さを痛感した。
この4ヶ月の療養期間、自分だけ取り残されたような感覚で、浦島太郎状態になってしまった。