心臓の手術後から入院中、アナログ時計が読めなくなっり、退院後、いつの間にか読めるようになっていた。
が、先日こんなことがあった。
脳神経内科外科の病院に外来リハビリに行く日だった。
週2回のペースで行っているので、もうだいぶ慣れてきた頃だ。
妻が3時で仕事を終え3時半には帰宅する。
自分は、その3時半までに身支度を終え、家を出るだけの状態で待っていればいい。
それがこの日は、どこか自分が宙に浮いているかのようなフワついたような感覚で、家の外の光、時計、自分の感覚が一致してないような状態だった。
寝起きでもない。
妻の帰宅時間が迫る中、自分は全て準備を済ませておかなければいけないはずの3時半に顔を洗っていた。
その時、妻が帰宅。
自分の様子を見て、どうしてるん、と自分を疑いの目で見るような表情。
自分は、あれっ、おかしいな、時間が分からない、と慌ててしまった。
なにかキツネにでもつままれたような感じとはこの事だろう。
さらに慌てて身支度を進めた。
いや、身支度をテキトーに進めた。
あれこれしながら、言いながら10分ほど遅く家を出た。
いつもは時間に余裕のある病院の受付が、今日はまぁまぁ余裕がない。
妻も道中の運転がキビキビとなる。
自分は、また落ち込む。
時間だけの事ではない。
こんなアタマになった事にだ。
いつもではないが、時折見せる知能の後遺症。
他に見つかっていない後遺症は無いのだろうか。
自分ではまだ気づかない後遺症があるかもと思うと、怖くなる。
無事、外来リハビリに間に合う時間に着き、受付を済ませた。
リハビリの時間、近況を話をしながら、話題がやはり後遺症の話になった。
さきほどの家を出る時の自分の様子を妻が外来担当の作業療法士さんに話したのだ。
それは、実はさっき、こんな事があったんですよ、と。
自分の抜け落ちた部分を晒されたうようで、恥ずかしいやら情けないやら。
妻も自分の変わりように、少しストレスを覚えているのだろう。
最近、この外来リハビリ担当の作業療法士さんに愚痴っぽく話す妻が居る。
妻も疲れが出ているのだ。
自分はこんな状態になり、移動も全て妻の運転が頼りだ。
そのためか、近頃は外来リハビリが自分だけでなく、妻のカウンセリングのような時間になっている。
それほど外来担当の作業療法士さんとは打ち解けてきているようだ。
これほどまでに自分も心を開き、楽な気持ちで望むリハビリになるとは思ってもみなかった。
本当に許容量のある方で良かった。
自分のような患者をイラつく仕草を全く見せず、笑顔で対応してくれるのが本当に救いだ。
イラつかれたら、立ち直れない。
自分は手術前のような普通の機敏さが、今はない。
アタマも体もだ。
自分は、ここに居場所を求めているのかもしれない。
障害者手帳を取得するほどの障害が残っている訳でもないグレーな自分を、受け止められないでいる。
健康な部類で良かったのだが、これはこれで人には理解出来ない苦難を感じている。