退院したら診察に来るよう言われていた循環器の病院。
退院後、診察の予約を入れていた日が来た。
診てもらう先生は院長である自分の主治医だ。

循環器の病院を退院して2ヶ月が経過していた。
循環器の病院から脳神経内科外科の病院に転院したので、この日まで外来で診てもらう事ができなかった。
転院してしばらく心臓の経過を診てもらえない状況に置かれていた事は非常に心配であったが、幸い自覚としての異常はなかった事が、いい意味で気にする事がなかった。
軽い運動も出来るし、お酒だって飲める。
以前のような動悸や不整脈の自覚はない。
大変落ち着いており、健康な時の意識しなければ心臓の動きを感じない感覚が今はある。
変な表現になっているな、動きを感じない感覚がある、とは。
とにかく異常と思える動きが一度もないのだ。
この事が自分の体の唯一の安心材料だ。

診察に向けて用意したものがある。
少し濃いめのサングラスだ。
退院して以降、太陽光とLED照明がやたら眩しく感じるようになっていた。
これも視野の欠けの影響なのか、視界がチラチラして非常に眩しく感じる。
脳神経内科外科の病院もそうだが、室内の照明は蛍光灯からLEDに置き換わっている。
LEDは今の自分の視野にはキツく、しかめっ面になってしまう。

朝、予約の時間に向けて朝8時に家を妻のクルマで出た。
家から南東に向かって走らせるその先に循環器の病院がある。
恐らく自分の予約は、この時間から推測して2番目だ。
朝日が非常に眩しい、よく晴れた日だ。
サングラスを用意しておいて良かった。
病院に着き受付を済ませる。
ここは退院以来で、帰ってきた感になる心境だ。
2ヶ月という期間がどれくらいなのか、よく分からない不思議な感じだ。
自分はここで手術してもらい、入院していたのだ。
胸を切り、心臓を止め、僧帽弁を修復してもらったのだ。
元々悪くない血圧を測り、数値を見て安心した。
待合で待つ事10数分。
やはりここの待合も眩しい。

聴き慣れた主治医の声で自分の名前が呼ばれた。
6、7室ある診察室の左から2番目だ。
コンコンコン、失礼します、と診察室に入った。
先生、お願いします。
退院後、初めて会う主治医だ。
主治医は自分を観察するように見た。
どうですかその後は。
聴診器を当ててもらいながらのやりとりだ。
自分は今の心臓の様子や転院後、退院後の事、後遺症の事を簡単に話した。
普通に話した。
少し後ろにいる妻は言いたい事を我慢している表情だ。
この診察までに自分の脳梗塞の事、後遺症の事で妻と話を重ね、どん底に突き落とされたような感情が溢れそうになっていたのだ。
妻が何か言い出すのでは。
自分は冷静に努め、普通を装った。
主治医は妻の様子を見て、何かありますか、あるんだったらいいですよ言ってもらって、聞きますよ、と優しく言った。
開き直った言い方ではなく、気持ちを聞くよ、という柔らかな言い方だ。
なぜ、こんな事になったのか、と一言だけ妻。
すると主治医は、すみません、と優しく言った。
自分は一瞬、手術に非があった事を認めたのか、と思ってしまった。
しかし、ここを退院する時に執刀医から説明があったように、この脳梗塞の原因が血栓なのか、ゴミなのか、空気なのかは判らない、ミスではなかった、とこれまでの話と変わりはなかった。
でも主治医は、すみません、と繰り返し謝った。
どう受け止めればいいんがろう。
自分はこれで少しは救われるのか。
いや、後遺症は一生残るんだぞ。
一生だ。
でも先生が言うようにミスではないんだろう。
自分は術後、難しい事は考えられなくなっていた。
どこかで自分に折り合いをつけなければいけない事は分かっている。
妻が言っていた、明らかな医療ミスがない限り、なかなか追求できるものではない。
しかも、術前にリスクについても説明があり、自はそれにサインをしている。
要するに医療裁判のことだ。
裁判なんて起こそうとはても自分は考えられない。
なおも自分は平静を保ち、自分の心臓の状態について主治医と話した。
特に詳しい検査は今回はしていないが、順調のようだ。
とりあえず病気の1番の元を手術して治療を進めたのは、今のところ問題なしだ。
1つずつ順調な事を増やしていけたらいいと思うしかない。

次回の診察は2ヶ月後だ。
ずっと飲んでいるクスリを処方してもらい、お礼を言って病院をあとにした。

改めてこの度の妻を見て、自分の病気のせいで、自分だけでなく、妻も家族もどん底に落ちた時期があったという事実を理解した。
いつまでも元気で健康でありたい。
そう願わずにはいられなかった。