入院が3週間ほどの予定がアクシデントにより2ヶ月になり、それでもなんとか退院出来た。
この2ヶ月の期間というのは想定外の事で色々な事が気がかりだった。
しようとしていた事が出来なかった事は非常に心残りに感じていた。

1つ目は息子の次男の進学についてだ。
高校2年生になる際に文系、理系で悩み、悩んだ末、理系になった。
そして今、高校3年生になり進路ははっきり決まっていた。
秋頃に決めた進路について、自分の入院中に妻と次男で話し合い、専門の塾に通う事を決め手続きも済ませていた。
入院中に電話で妻から流れは聞いていたので、とうとう具体的に進めていると安心していた。
1年後には無事進学できている事を願うばかりだ。

2つ目は母親の事だ。
3年位前から認知症のような言動が見られ、ここ2年くらいは現金や通帳がなくなり、自分に疑いをかけられていた。
段々と酷くなっていたが、身の回りのことに大きな支障はなかった。
そんな母親に自分の息子が心臓の病気や手術の事、脳梗塞の事が本当に理解できているかは正直判らない。
入院前は入院する事、手術する事を伝えるべきか迷ったほどだった。


3つ目は町内会の役員についてだ。
今年度、来年度と町内会のある部の顧問になっており、周りの者に何も知らせずに入院していた。
丁度、その時期は行事が無い時期で何も動きがなく、入院中は電話だけで乗り越えられた。

4つ目は家庭菜園だ。
父親が3年前に脳出血で倒れ、それを機に自分が菜園を引き継いだ。
菜園について何も聞けないまま父は1年前に亡くなった。
15mx5mくらいの畑で、家庭菜園としては小さくない畑を守っている。
これも丁度入院の時期は野菜の世話がそんなに必要ではない時期だったので、本当によかった。
植えていたのは白菜と大根、ニンニク、スナップエンドウくらいだった。
自分が入院中は家族が白菜と大根を食べてくれていた。

5つ目はクルマとバイクだ。
車は1、2週間に1度はバッテリー上がりを防ぐ為、エンジンをかけて欲しいと伝えていた。
バイクはバッテリーから配線を外していたので心配はなかったが、結果、しばらくはどちらも乗れないので、今後どうなるやら。

6つ目は仕事かな。
何かのお告げかなと思えるくらい、少しホッとした思いもあった。
先が全く見通せない仕事に惰性で回っているような感じだった。
心臓の具合が悪く、診断書を提出するも逆に叱責や恫喝された。
ますます具合が悪くなっていく悪循環だった。
脳梗塞と知らされ、麻痺があると判った時は、これで仕事から離れられると思ってしまったほどだ。
でもまだ息子たちの学費もあるし、どうしようか、と何も考えられない状態だ。

これくらいの不安要素が入院中、自分を取り巻いていた。
そして自分にとって大きな後遺症が今後の人生にどう影響してくるのか、半年先も全く判らない状況だ。
このまま後遺症が大きく改善する事がなければ、今までのようには生きていけない。
この視野、左手の麻痺、めまいが重くのしかかる。
脳梗塞を発症後、2ヶ月半が経過したが大きく改善しているとは思えない。
前向きに考えたり、現実を受け止めたり、
受け入れられなかったりで、まだまだ気持ちはジェットコースターだ。
とても不安定で、何をするにも楽しめない。
なぜ、こんな事になったのか。
家に独り居ると、こんなにも余計な事に考えをめぐらせてしまう。
何かに押しつぶされそうな感じだ。
これなら入院していた方が良かったか。