待ちに待った退院の日だ。

振り返れば循環器の病院を入院して丁度2ヶ月。
長かった。
当初の予定なら3週間ほどの入院だったが、脳梗塞の麻痺というオマケが付いてきた。
これで人生は一変したと感じている。
人生の中で大きな節目というか、分岐点といいうか、チャプターという感じだ。
とても大きな区切りがこの時に刻まれたのは間違いない。
そう感じながら退院の朝を迎えた。

とはいえ、周りは何も変わりのない、いつもの朝だ。
いつもと変わらないルーティンで身支度を進める。
でも噛みしめるように、確認するかのように進めた。
いよいよ今日か。
今日、何回この言葉を繰り返すだろう。
1月19日に入院し、2月9日に転院、3月19日の今日を迎えた。
病院でする最後の洗顔に着替え。
最後の朝食。
最後のリハビリ。
今日、何回その出来事のたび、思うだろう。

本日最後のリハビリは言語聴覚士さんのリハビリだ。
1時間だけ予定されていた。
リハビリの後は退院に向けての話が予定されており、ホワイトボードに書き込んでくれた。
いいよいよ今日ですね、笑顔の言語聴覚士さん。
そしてこのタイミングで作業療法士さんが最後の挨拶に来てくれた。
いつもの笑顔いっぱいの表情で、当たり前の挨拶を交わした。
最後にお礼を伝えたく力強く握手をしたいと思っていたが出来なかった。
作業療法士さんは、いつもの業務でする挨拶の延長に過ぎないのだろう。
自分もごく普通を装った。
入れ替わるように理学療法士さんが来てくれた。
こちらもいつもの笑顔で、また今度外来リハの時にでも絵を見せて下さいね、と。
理学療法士さんは自分が絵を描く話を覚えていてくれたのだ。
あれこれ話していると看護士さん達も来てくれた。
みなさん業務に入る前の僅かな時間を見計らって来てくれた事が分かる。
もう数分で業務開始の時刻だ。
病室が一気に賑やかになり、自分も誰に目を向けて話せばいいのか分からないほどだ。
ふと理学療法士さんを見ると困ったような、もう少し自分に声を掛けてくれそうな雰囲気の様子で立っていた。
一度に数人押し寄せてくれ、最後の会話が十分に出来なかった感じだ。
仕方ない感じで理学療法士さんは病室を出て行った。
形式とは言え、患者にとっては一生に何度もない入院生活で、そこでの印象は一生患者に刻まれるだろう。
本当に濃い入院生活で、濃密なリハビリだった。
振り返らずにはいられない。
嬉しくて自然と笑みが溢れた。

午前のリハビリに向かい、この数日、言語聴覚士の時間も作業療法士さんとの連携でどちらの時間もタイピングに当てられていた。
相変わらず小指が外に開いたままの状態は最後まで改善しなかった。
今後、どうやって矯正していくのか。
特に変わったリハビリ時間ではなく、今まで通りの進行で最後のリハビリとなった。
言語聴覚士さんにお礼を伝え、入院最後のリハビリはこれで最後となった。
入院最後のリハビリ室を見渡し、いつもと変わらない風景を名残惜しんだ。
どこか寂しい気持ちが湧いてきては、これまでの出来事を思い返した。

病室に戻り、帰り支度をしなくては。
あまり荷物は増やしてないつもりだったが、入院生活を少しでも快適にしようとすれば、それなりに荷物は増えた事が分かる時だ。
一体何が増えたのだろう。
キャリーケースだけではとても入り切らず、エコバックを2つ使用し、さらにレジ袋も1つ追加した。
レジ袋は看護士さんが自分の様子を見かねて1枚持ってきてくれたものだった。
結果、両手にいっぱいの荷物が完成した。
さらに看護士さんは自分の様子を見かねてか、台車を持ってきてくれた。
これで1回の運搬で全てが済む。
本当に助かった。
大荷物だが、妻が来てくれるし、クルマに積めるので心配ない。

それとベッド頭上の掲示板に貼られている自分の担当スタッフの名前が入った用紙を記念に持って帰りたいと思っていた。
主治医、看護士、相談員、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士の6名の担当者が記載されたものだ。
大変お世話になった方たちを忘れたくないと思い、勝手に持ち帰ろうと思わずにいられなかった。
恐らく一生忘れないだろう。
忘れたくないし、また会う事があればお礼を言いたい。
そして理学療法士さん、作業療法士さんから受け取った退院後の自主リハビリメニューの用紙を、一緒のクリアファイルに忍ばせた。

そうこうしていると妻からメッセージが。
病院に着き、これからこのフロアに上がってくると。
全ての荷物を整理し、まとめた台車を少し移動させ、忘れ物がないか病室を確認した。
布団や枕も整え、立つ鳥跡を濁さずで病室を出る。

その前に同じ病室の隣の方に最後の挨拶を。
〇〇さん、今日で退院になります、ほとんどお話も出来ませんでしたが、お世話になりました、お元気で、と挨拶した。
その患者さんに付いていたスタッフさんは、病院は長く居る所じゃないですから、短いのはいいことですよ、と言ってくれた。
患者さんは言葉が上手く出ない様子でいつものように手を挙げて返してくれた。
本当に短いやり取りで、最後の挨拶を終えた。
こうして自分の病室をあとにした。

あとは退院前の話が待っている。