言語聴覚士さんとのリハビリは少し地味な内容だ。
机に着き机上でのプリントものをこなすのが中心だ。
数字や文字を使った脳トレのようなテキストを一時間に数枚やっていく。
迷路もよくやった。
この迷路が元々は簡単なのだろうが、自分の視野の問題でとても難しいものになっている。
視野が欠けているというのは実に大きいハンデだ。
子ども向けの迷路でも目の奥が痛く重くなるような苦しみがある。
そして、どっと疲れる。
数分もあればクリアできるような迷路だ。
それはやった後に分かる。
一体どう見えているのか、どう見えていないのか。
視点の左右が見えない。
特に目線の左下がさっぱりだ。
すぐ右もエリアは比較すると小さいが見えない。
どう見えているか尋ねられても、言葉ではとても表現出来ない。
決して見えないところが黒い訳ではない。
それこそ、見えない、それだけだ。
自分の頭の後ろが見えないように、どう見えているか答えられないように、この視野の欠けも同じなのだ。
目の前のものが一部見えない。
自分にとってそこは存在しないのと同じだ。
そしてこの欠けは見るところ見るところ、視線を移動すると一瞬の遅延なく存在する。
他人は言うだろう。
目線を少しずらして見ればいいのでは、と。
目線とは、そのものをしっかり把握する為には必ず視点を合わせなければならない。
視点をずらして目的のものを正確に把握できる人は居ないはずだ。
例えば文字を読んでみてほしい。
読みたい文字を必ず中心に目で追っているはずだ。
視点を少しずらしただけで文字は読めないはずだ。
要するに視野の欠けは視点に対して固定されており、どこまでも居座るのだ。
あの視野検査で表れている結果が今の自分の視野なのだ。
視点を中心に常にあの欠けが存在する。
おかしな表現だ、欠けが存在するとは。
言語聴覚士さんは自分にアドバイスする。
顔を横に向け目線は迷路を追って欠けた隙間から見るように、と。
そんな事は出来なかった。
まるで視野の欠けが、一部が目隠しされた眼鏡のように捉えているかのようだった。
机に着き机上でのプリントものをこなすのが中心だ。
数字や文字を使った脳トレのようなテキストを一時間に数枚やっていく。
迷路もよくやった。
この迷路が元々は簡単なのだろうが、自分の視野の問題でとても難しいものになっている。
視野が欠けているというのは実に大きいハンデだ。
子ども向けの迷路でも目の奥が痛く重くなるような苦しみがある。
そして、どっと疲れる。
数分もあればクリアできるような迷路だ。
それはやった後に分かる。
一体どう見えているのか、どう見えていないのか。
視点の左右が見えない。
特に目線の左下がさっぱりだ。
すぐ右もエリアは比較すると小さいが見えない。
どう見えているか尋ねられても、言葉ではとても表現出来ない。
決して見えないところが黒い訳ではない。
それこそ、見えない、それだけだ。
自分の頭の後ろが見えないように、どう見えているか答えられないように、この視野の欠けも同じなのだ。
目の前のものが一部見えない。
自分にとってそこは存在しないのと同じだ。
そしてこの欠けは見るところ見るところ、視線を移動すると一瞬の遅延なく存在する。
他人は言うだろう。
目線を少しずらして見ればいいのでは、と。
目線とは、そのものをしっかり把握する為には必ず視点を合わせなければならない。
視点をずらして目的のものを正確に把握できる人は居ないはずだ。
例えば文字を読んでみてほしい。
読みたい文字を必ず中心に目で追っているはずだ。
視点を少しずらしただけで文字は読めないはずだ。
要するに視野の欠けは視点に対して固定されており、どこまでも居座るのだ。
あの視野検査で表れている結果が今の自分の視野なのだ。
視点を中心に常にあの欠けが存在する。
おかしな表現だ、欠けが存在するとは。
言語聴覚士さんは自分にアドバイスする。
顔を横に向け目線は迷路を追って欠けた隙間から見るように、と。
そんな事は出来なかった。
まるで視野の欠けが、一部が目隠しされた眼鏡のように捉えているかのようだった。
なるほど、視野はどうにもならないというのが少し理解出来る。
言語聴覚士がなぜ言語視聴覚士ではないのか。
自分はこの迷路が非常に疲れ、病室に戻ると倒れ込み、いつにも増してダウンすることになっていた。
そして時間の許す限り寝込んだ。
そして時間の許す限り寝込んだ。