主治医からやっと脳神経外科内科の病院への転院日が伝えられた。
2日後と言われ、同時にここの退院日が決定した。
転院先の病院の都合で通常より長くこちらにお世話になった。
術後約2週間の入院の予定が少し長くなってしまったが、とりあえず心臓の術後は順調という事だ。
脳梗塞さえ無ければ何もいう事はないのだが、、、
スタッフの方々も手術による脳梗塞というのがあるのだろうか、よく気にかけてもらったような扱いに感じた。
その分、自分もこちらのスタッフの方々に感謝の気持ちでいっぱいだ。
どん底の気持ちをなんとか保とうとしてもらったようで、いいスタッフの印象しかない。
脳梗塞さえなければ。
こうなると残りの入院の1日がこれまでの1日とは違ってくる。
自分も妻も本格的なリハビリに向けてなんとか前を向こうと必死だ。
思わぬ事態に一時はどうなるかと思ったが、こうして不自由ではあるが普通に生きている。
リハビリでまだ見ぬ回復した姿を思い浮かべるしかない。
そしてまた落ち込むだろう。
この連続した繰り返しの日々。
世の障がいを持った方で強く生きている人は本当にすごい。
どこからあんな気力が生まれるのか。
自分はこれからそうなれるのだろうか。
なりたい。
いよいよ退院当日。
これまでの目覚めとは全く違うものだ。
昨夜の就寝から違っていた。
朝のここでは最後の健診だに、看護士さんに感謝の意を伝えた。
荷物を整理し、身の周りを片付け、立つ鳥跡を濁さず、と心掛けた。
良い目覚めにすっきりとした朝の身支度を進めた。
ここでの最後の朝食にも思いを寄せた。
栄養士さんの配慮で入院終盤にご飯の量が少しだけ増え、満足度が増した。
朝食を終え、妻が色々持ってきてくれたリハビリグッズ等の小物を片付け終え、ベッドも整えた。
予定していた時間に妻が来てくれた。
笑顔だった。
こちらも自然と笑顔になれる。
妻も身の回りを確認してくれ準備オッケーと。
退院前に執刀医の先生からの術後経過の詳細説明を受ける予定だ。
予定時間になり荷物をまとめたキャリーケースやカバンを持って個室近くにある診察室に入った。
毎朝ではなかったが健診に来られる先生に改めて手術後の説明を受けた。
サーバにつながっているPCのモニタに映し出される自分の心臓や数値。
つい先日受けた心臓エコーの動画を観せてもらったが、僧帽弁は正常に動き機能しているという。
あれほどダラッとしていた弁がしっかりキレイに動いている事に心底ホッとした。
もしダメでもう一回手術とかありえないし、とても無理だ。
脳梗塞はあったが、まさに命は救ってもらえたとその時は思えた。
お酒も飲んでいいと先生からの許可をもらい笑顔で30分ほどの説明を終えた。
今後は定期的に院長先生である主治医に診察に来るようになる。
もう、この執刀医の先生とはなかなか会う事はないのだろうか。
色んな意味で人生を大きく変えた先生だ。
これから自分のきもちがどう変化するのかしないのか、一生忘れる事はないはずだ。
脳梗塞さえなければ100%命の恩人と思えるはずだったのに。
でもここは笑顔で感謝の言葉と引き続き今後をお願いした。
私服でキャリーケースを転がしながら妻と退院手続きで受付に向かった。
入院前の診察で自分が見たあの退院する人の再現tだ。
辛い検査や手術、また検査、痛み、多くの管に繋がれた不自由な生活、何日もシャワーができない辛さ等、乗り越えて来た日も、もうさよならだ。
さよなら出来ないのは脳梗塞による障がいや後遺症だ。
どれくらい回復するか分からないが一生付き合っていく事だろう。
とても複雑な気持ちで妻が会計を済ませてくれている。
高額医療費制度の説明もありながら今の自分には把握は無理だが、大金をカードで支払った。
意外に時間がかかかかったが、やっと病院の外に出られる。
とても寒いが、とても、とても気持ちがいい。
自然と笑みがこぼれ外の街中の空気を吸い込んだ。
自由を満喫するヒマも無いのは承知していたが、すぐにクルマに荷物を積み、乗り込んだ。
そして循環器の病院から5分もかからない脳神経外科内科の病院に向かう。
ちょっと遠回りしてドライブでも出来ないものかと思いながら、転院先も入院手続きの時間がある。
予定していた時間も過ぎており、妻は黙って次の病院に直行した。
マジか、本当にすぐに入院か、、、