ある日、一般病棟の自分の部屋に突然その看護師さんは現れた。

集中治療室で打ち解けさせてもらったあの○○ちゃんだ。

人見知りの自分は初対面の人にちゃん付けで名前を呼べる性格ではない。

なのになぜかその看護師さんにだけは呼べてしまった。

自分でも説明ができない。

その看護師さんが目の前に居る。

思わず自分を心配して来てくれたのかと大きな勘違いを思ってしまった。

その看護師さんは、今日から一般病棟に異動になったんですよ、と。

色々話せる看護師さんとまた会えることになり安心と同時にとても嬉しかった。

しかも集中治療室に居た時より自分は今もっと回復し話が出来る。

親身になって話してくれる姿勢が心強かった。

長くはない入院期間だが、今後の不安な残りの入院も光を与えてもらった気がした。

また理学療法師さんとその看護師さんの連携もできており、お互い信頼をしている内容の話が出来ている様子が感じられ、一層の安心感があった。

なんでも相談できるスタッフが自分についてくれている。

 

そんな日、妻の面会が許された日があり、妻が来てくれた。

妻はとても短い面会時間をスタッフと一緒に前向きに過ごしてくれた。

妻は自分が脳梗塞を起こした為、仕事に行く事が出来ず、急遽2週間休みをもらえていた。

とはいえ毎日面会が出来る事はなく、不安な思いで自宅にいたという。

随分と辛い思いをさせていたのだと申し訳なかった。

この間の詳細は後日教えてもらい、壮絶な日々であったと思い知った。

妻はリハビリになるようなグッズを追加で持って来てくれ、頑張るよう叱咤激励してくれたり、まともに観れなくなったスマホのフォントサイズをすっごくデカくしてくれた。

デフォルトのサイズでは読めない。

デカすぎるのはフォントは読めるようになったが、読んでいくとすぐ改行になり、それはそれで非常に読みにくい。

せっかく設定をしてくれたが、結果スマホは観る頻度は増えなかった。

この期間のネット記事や友人、職場の同僚のLINEも遅れ遅れで妻に読んでもらったり、簡単に返信をしてもらった。

こういった事もより一層自分がどん底に居る事を嘆く大きなきっかけになった。

自分でスマホを処理出来ない。

この事が明日、いや未来を全く見通せない現実を容赦なく突きつけてきた。

思えば元日に能登半島地震があり、その後の復興状況なども全く情報が入らない。

テレビのニュースは観ているつもりだが、上の空だ。

キャスターの顔も分からない。

テロップも読めない。

どうしてこんな事になったのか。

時は戻せないのか。

毎日、毎日どうしても考えてしまう。

この思考から抜け出せない日々に嫌気がさすが、前向きになんかなれない。

こんな自分が元の生活に戻れるのか。

不安しかない。

 

こんな状態でも病院のスタッフが来てくれると少し元気を装ってしまう。

無理なく装える。

頑張ろうと思える。

出来るだけ長く自分に付いてもらってくれたら、ずっと元気でいれる気がする。

そんな上手く振る舞う自分は今は嫌いではない。

落ち込んで負の連鎖にはまるより、よほど良い。

恐らく他人に良く思われたいと思う心理が働いているに違いないが、今はこの都合のいい性格に頼りたい。

今は周りの人に頼りたい。

自分に光をつくってほしい。

そんな気分だった。

 

そんな中、後日脳梗塞後のMRIの画像データを持って連携する脳神経外科病院へ診察の為、妻と行くよう看護師さんから伝えられた。

つまり外出だ。

いま入院している病院は循環器病院で専門の病院で診てもらうようにという事だ。

外出が出来るまでになったのかと、それはそれでなんとなく嬉しかった。

だがそれだけだ。

あとの気持ちは不安だらけだ。

自分がまさか脳神経外科にかからなけれならないとは・・・・・