やっとか、と思える程の辛く長いICUでの入院だった。
過ぎてみれば、たかが1週間ほどではあるが、自分にとっては本当に長かった。
でもここからは、しっかり歩けるようリハビリに努め、退院を目指す事になる。
ただ自分は脳梗塞を発症し麻痺がある。
この麻痺についてはまた別のリハビリになる。
こういった内容を先生から説明され部屋を移った。
ICUには最低限の荷物が側に持ち込めたが、それ以外の多くの荷物は手術前に病院に預けていた。
一般病棟は個室になる。
この部屋の説明や過ごし方、フロアの案内まで簡単にしてもらった。
少し自由になれた気がした。
窓からは外の景色が新鮮に写り、無機質で囲まれたICUからの脱出を実感した。
看護師さんに案内され個室に入ると預けていた荷物も持ってきてもらった。
キャリーケースには入院の為に準備した荷物が満載だ。
使い慣れたものや入院に必要とした新たなものもたくさんある。
それらに全て名前を書いている。
手元に戻ったそれらは、とても懐かしく感じた。
色んな思いで準備したもの。
妻が必要と言い買い足してくれたもの。
他人に見られたら少し恥ずかしく思えるものもある。
自分だけのお手入れグッズがそうだ。
これらが手元に戻っただけで、少し元の自分に戻れたような気持ちにさせてくれた。
それらを確かめるかのように小さなカバンから出してみる。
中には手鏡や毛抜き。
今までの顔のお手入れをやってきて使い慣れた道具類。
使えるのか?どうなんだ?と思いながら手に取ってみる。
麻痺している左手は手鏡はなんとか持てるが、コントロールがきかない。
右手の毛抜きは問題ない。
問題は目だ。
こうして鏡を持ち、ピンポイントで見たいところを見ようとすると自分の今の見え方に愕然とした。
見たい点が見えない。
その周りも見えないエリアがある。
見えないとことが点在している感じだ。
これでは今までやってきた顔の手入れが出来そうにない。
このダメージはとても大きく、到底受け入れられるものではなかった。
こればで見えてきた全てのものが、こんなにも尊いものなのかとも同時に感じた。
見たいものが見えないこの初めての感覚をどこにぶつければいいのか。
喪失感でいっぱいになった。
それでも左右の道具を持ち替え反対の顔を世話してみようとする。
左手では毛抜きは持てない。
ダメだ、これでは全然ダメだ。
大きな深いため息をつき、落ち込んだ。
これ本当に現実か?本当に自分に起きたことなのか?
この思いが今後数ヶ月続くことになる。
しばらく動けない。
現実とは悪夢だと。
元に戻してほしい。
リセットしたい。
現実も⌘z出来ないのか。
この精神的なダメージは相当なものだった。
これまで多くの挫折や諦めを味わってきたが、これは比較できない程のショックだ。
まさしくどん底を味わっていると確信した。
どれくらい時間が経っただろう。
落ち着きを取り戻し改めて部屋を確認した。
基本的には手術前に入っていた一人部屋と設備は同じだ。
大きな洗面台もゆとりがあり気にいいっている。
トイレとシャワーも完備で、これからのシャワーが楽しみになった。
こんなにも長くシャワーが出来ない事はなく、真っ先にやりたい事の一つだった。
手術前にはほとんど観なかったテレビ。
今後は積極的に観ようと気持ちを変えた。
テレビでも観ていないと気持ちがもたない。
現実を受け入れられない自分を、テレビで逃避したいと思った。
ニュースはまだまだ何も進んでいない能登の話題で、時がどれだけ進んだのか進んでないのか混乱した。
ちょっとしたタイムスリップを体験しているようで、とても時の経過にとまどった。
まだまだ時間の感覚に大きなズレを感じながら、テレビや身の回りから入ってくる時事に同調、同期できない自分に、こう言い聞かせた。
焦らず行こう。
そう考えるようにしたりおちこんだり。
ここから毎日、毎日術前と同じようにジェットコースターのような気持ちの浮き沈みに振り回される事になる。