妻の呼ぶ声がする。
目が覚めた。
やはり今日が何日か今が何時かも分からない。
一体何が起こったのか。
全く見えなかったかすかな記憶は、この時はない。
この声でこの時初めて目がかすかに見えているのが分かった。
かすかにとはどういう状態か。
ぼんやり見えて、見えている範囲は狭い。
妻が、覗き込むように顔を近付けて、脳梗塞が起きたんよ、と教えてくれた。
ええっー!
終わった。人生終わった、と直感した。
涙が溢れてきた。
こんな事が起きるのか、自分にこんな事が起きたのか、と絶望感が一瞬でいっぱいになり嘆いた。
涙を拭う手も左手はほとんど動かない。
時間をかけて沢山繋がれた管や、麻痺してしまった部位を自分なりに確認した。
とても現実とは思えない。
悪夢だ。
悪い夢でも見せられているのだとしか思えない。
この間も時がどれたけ進んでいるかも分からない。
この不明な時間の中でこの先の人生の絶望感しか湧いてこなかった。
自分の運命を嘆いた。
とても受け入れられない出来事だ。
全てを失ったかのような気持ちになり、この先の人生を憂いた。
仕事も、家族も、ここの病院のスタッフに聞かれた自分の趣味も全て諦める気持ちが人生の希望を失わせ、全てのことを早くも諦めさせた。
自分の体に起きた事を妻や息子たちに背負わす訳にはいかない、と自分は何をするにも全て人の手を借り生きなければならない体になってしまったと勝手に思い込んでしまっていた。
この思いから妻に、こんな自分とは別れるように、と言ってしまった。
妻はとても冷静で目がはっきり見えない自分の目に指を近づけ追うように言った。
妻の人差し指が目の前をゆっくり左右に往復する。
見えている。
よくは見えないが、見えていないという事はない。
しかし、見え方がおかしい、普通ではない。
目が覚めた状況はこんな感じだった。
今思い返しても悪夢であった。
体の手術の痛みは全く感じない。
まだ麻酔がしっかり効いているのか、麻痺だけがクローズアップされた。
この時は恐らく手術の翌朝であったのだろう。
これは後日妻から聞いた話だ。
妻は手術の翌朝、仕事を休み自分の術後の様子を看に来てくれていた。
来る途中に病院から妻に電話があり術後、脳梗塞が起きた事を報告された。
妻は気が動転しながらも朝の渋滞の中、病院に向かったという。
どうしていいか分からず何も出来ない真冬の朝の道中は苦しかったであろう。
いつもの道が違った道に見えたに違いない。
渋滞をに揉まれながら辿り着いた病院は妻にどう映っただろう。
ICUで眠る自分にたどり着いたのは何時だったのか。
手術を行なった執刀医が来られ告げられたのは手術後の自分の経過と、これから妻に動かなければならない事であった。
自分が術後目覚めた際、目が見えない、左手が動かない胸を訴えた後、すぐさま先生がCTを撮っていたらしい。
妻独りでそのCT画像データを持って連携する別の脳外科病院へ持って行き、専門の先生と話をするよう伝えられた。
この先生は後に転院する自分の主治医となる。
自分が眠っている間、妻は訳も分からず先生の言われるまま動いてくれた。
CT 撮影後はこの病院との指示をもらい、すぐ点滴の処置をしてくれていたようだ。
コロナ禍で病院の出入りが制限されているのに、緊急事態という事で出入りを繰り返してくれた妻であった。
おおまかな手術の翌日の出来事はは短い記憶しかない。
後日聞いた事も凝縮され過ぎていて、眠る事しかできなかった自分の無力さと、妻の待たされたであろう時間の長さを大きくさせた。
恐らく昼頃か、妻は指示された事をやり遂げて病院を後にした。
やはり緊急事態とはいえ自分が居る部屋はICUで、長時間居る訳にはいかなかったようで帰るよう指示されたと。
この通り、術後翌日の記憶は短く、ごくごく断片的だ。
せん妄の影響もあったかもしれないし正確ではないかもしれない。
後日談と自分の記憶との整合性も怪しい。
今でも思う。
この手術日を境に一旦時がリセットされ、区切りを付けて新たに時が始まったような感覚だ。
言い換えれば間違いなくここでチャプターが設定された。
この先人生を振り返る時、ここが人生の分岐点だと確信できる出来事だった。