子供の頃、
―いや、今も“コドモ”なのだから、それは間違いか。―

正確には・・小さい頃。


母親との昼寝が生活の一部、日課だった頃だ。

先に寝てしまった私を見届ける筈の母親が先に寝息を立ててしまった時。

若しくは、不意に目覚め、横で未だ眠る親が自分を構ってくれないと理解した時。

私を襲って来る感覚があった。


同じ様な感覚は、保育園のお泊まり会、小学校以降の宿泊学習や修学旅行、そして、今でもまだ味わうことがある。


あの感覚は、消えない。


一体あの感覚は何なんだろうか?


孤独感?

サミシイ?

ツライ?

悲壮感?

カナシイ?

イタイ?

焦燥感?

マズイ?

ヤバイ?

・・分からない。


ただ、そんな名前なんかはどうでも良い。

名前が分かったからと言って、それが何の解決になると言うのだろう?

いや、何の解決にもなりはしない。


ヒトは、とかく不明瞭を嫌う生き物だと思う。

不透明で、掴み所の無い、明確で無いモノを嫌がり、畏れる。

(その反面、不思議なモノを追い求めるのだから、片腹痛い。)


だから、定義したがる。

とりあえず、名前が付けば、何と無く安心してしまう。

理由は様々であろうが、恐らくは自分だけでない、他者と“共有”した感覚と捉えることが出来るからであろうと思う。


しかし、本来ならばそんなものはどうだって良い。


重要なのは、対象を自分の中でどう位置付けるか。

分からないなら分からないなりに、だ。



私は先の感覚を、“そう言うモノ”として、扱っている。

しかし、ヒトに伝える為には、ソレをコトバで表す必要がある。

敢えてコトバで表すなら・・


疎外感


が一番近いのかも知れない。

皆が一様にしているコトを、自分だけがしていない。

皆と同じコトをしたいのに、ソレが出来ない。

しなければ

出来ない

ワタシダケガチガウ

そんな、感覚。

(本当は様々な感覚が入り交じった感覚だが、ソレを表現する能力は私に備わっていない為、敢えて割愛する。)



アナタも、そんなコト、ありませんか?