ポーセラーツ&シュールデコール【Atelier Memory】の教室ブログ 栃木県宇都宮市 -71ページ目

ポーセラーツ&シュールデコール【Atelier Memory】の教室ブログ 栃木県宇都宮市

ポーセラーツ &シュールデコール・ プリザーブドフラワー・グルーデコ・フレンチデコ・カルトナージュ教室 宇都宮  アトリエメモリー

こんにちは。

ポーセラーツで好評のワンデーレッスン。

今回は、可愛いマグカップ。しかも大切な方へのプレゼントにおすすめの、ギフトボックスとリボンも付いて、焼成後にそのまま差し上げられるという、新しいご提案のもの。

二種類の転写紙に、二種類のボックス。
どちらをもらっても嬉しいマグカップになっています。
ポーセラーツのサロンでは、全国統一2500円で体験レッスンを行っていますし、私のサロンでも可能です。

こちらは可愛いマグ。



こちらは、お洒落なマグ。



サロンでは他の人と全く同じはいや!という方に、プラスアレンジもできますので、どうぞお楽しみに。また、初めての方でも、可愛い転写紙一枚で、とてもサクサク作れるようになっていますので、ご安心くださいね。

転写紙も、使い方によっては かなりあまりますので、お揃いでプレートなんかもできてしまいます。


こちらは、以前私が作ったボックス。
今回のマグにもピッタリです。


勿論、ご自身でボックスをお作りになりたい方は、私が作ったボックスのように、ご提案もできますので、生徒さんをはじめ、ポーセラーツにご興味頂いた方は、是非体験にいらしてくださいませ。


本日は長男の誕生日。
大きくなった息子と、たまには二人でショッピングです。(こういう時しか、あまり呼び出されません)


素敵な午後をお過ごしください。




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今晩は。
しっかり元気になった次男は、何故か只今家の中で、野球をしています。
こういう時、兄弟が多いと、一人遊びにならず楽しそうですが、一気にうるさくなってしまいました。

さて、今回もセロテープカッターのご紹介です。
前回のセロテープカッターをお作りになった方も、職場に置いてテンションが上がりそうと喜ばれましたが、こちらも職場に置かれるとのこと。

お気に入りのものを置くだけで、気持ちもアップしますね。



気持がアップと言えば、昨日久々に少し時間ができたので、ブログを訪問していたところ、いつも仲よくして下さるブログでもお友達の大分のLaLa さんが、私の故郷山口へ観光にいらっしゃっていました。

久々に見る、山口の瑠璃光寺の五重塔。私が最も美しいと思う五重塔の今!を見ることができ、とてもテンションがアップ。勿論お嫁入りした日光にもありますが・・・。

そして、お泊りになった山口の湯田温泉にある松田屋旅館。
1675年に創業の山口の老舗旅館。とても素敵な旅館なので、是非公式サイト☆もご覧ください。

なんといっても、勤王の志士たちがここに集っていたということで、私も山口ではよく利用していました。
そして、私にとっても思い出深い結納もこちらの松田屋で行いました。

本当に、段々故郷が遠くなるほど、ちょっとした故郷の情報にビ~ンと反応してしまう私です。

高杉晋作が松田屋の玄関横にあった楓に所感を刻んだという憂国の楓も、松田屋にあります。

昨日の吉田松陰の話の続きから、晋作が探し求めていた「死すべきところ」を、師である松陰がその答えを、江戸伝馬町の牢内から、安政年7月に、晋作宛てに手紙を書いています。

抜粋ですが、
死は好むべきにも非ず、また憎むべきにも非ず、道尽きて心安んずる、すなわわち、是れ死所。世に身生きて心死する者あり、身亡びて魂存する者あり。
心死すれば、生くるも益なし、魂存すれば亡ぶも損なきなり。
死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし。
生きて大業の見込みあらばいつでも生くるべし。
僕が所見にては生死は度外におきてただ言ふべきを言ふのみ。

人間は生死を度外視して、為すべきことをなす心構えが大切であると書き送っている。

これほどの素晴らしい師をもった晋作は幸せだった。それからの晋作は「死すべきところにあらず」と思えば、逃げた。
およそ武士からぬとのそしりも聞き流して逃げた。「逃げ」を支えたのは師の教えであった。

そしてついに晋作は、死に場所を見つけた。

こんな、生き方真似はできませんが、自分の為すべきことをただ為す心構えは、私もなるべくしようと思います。


あ~まずは、夕飯の支度から。



素敵な夜をお迎えください。



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今晩は。
体調が少しずつ戻った次男は、そろそろ飽きて部屋から出たくなるくらいまで、元気が出てきたので、ホッとしています。

こちらは生徒さんの作品です。
お嬢様の為に、素敵なボーンチャイナの大きなプレートを二枚お作りになりました。

限定の可愛いハートのヒョウ柄とビックフラワーの二種類をとても上手に配置されています。
お嬢様のイニシャルも付いていて、いつでもお嫁入りの際に持っていけそうな感じです!





さて、先日明治から昭和にかけて活躍した歌人の与謝野鉄幹・晶子夫妻が恩人の娘の結婚に際して贈った短歌の「アルバム(永日抄)」が見つかった記事を読みました。(10月9日朝日新聞より)

34首が毛筆でつづられ、うち5首は未発表作品。
詠んだのはどちらか断定できないが、歌風から鉄幹のようです。

とても素敵な結婚のお祝いの歌になっていました。(もうすぐご結婚なさるブログで存じ上げたMさんにも、私から)

「熱きほ(頬)をばらに埋(うず)めておもふなり
君と花との中に生きむと」

この与謝野鉄幹といえば、以前読んだ本で、山口との関連があることを知りましたが、とても興味深い話でした。

鉄幹は山口の徳山村に4年間いました。
兄、照憧(しょうとう)が経営する徳山女学校の和文教師をしていたのは、16歳の頃。
徳応寺住職の兄は、山口県では初めての難民救済慈善団体の積善会を創設して活動。鉄幹も兄を助けて寄付金募集の為に県内を遊説して歩いていました。

明治24年、日本を旅行中のロシア皇太子ニコライが、護衛の巡査に切りつけられるという事件が発生。鉄幹は慰問文を皇太子に送ったところ、ロシアから感謝状が届きました。

そんな話を聞いたのが、萩の杉原民治(たみじ)。民治は吉田松陰の実兄で、積善会の会員でもあり、照憧を通じて鉄幹に松陰家を継ぎ、松下村塾の後継者になってくれないかと申し入れました。
松陰が刑死した後、中絶していた松下村塾を明治初年に民治が再興して、細々と継続していたのです。しかし、鉄幹は「自分はその器ではない」と固く辞退したとのこと。

 鉄幹が、浅田信子、林滝野との恋愛が破綻し、徳山を去った明治25年、松下村塾は後継者に恵まれず、その波瀾に満ちた歴史を閉じたのです。
             『奮発震動の象しるしあり 著 松野浩二』より


最近、私の頭によく流れる『もしかしてだけど~』のように、
もしかして鉄幹がその民治の申し出を受け入れていたら、明星も創刊できず、晶子との恋愛もあり得なかったでしょうし、そうなれば、数々の晶子の素晴らしい歌も出来ていなかったかもしれません。


それにしても鉄幹は、あまりにも女性にモテモテというか、女性が好きだったようですね。

お皿の四葉のクローバーも鉄幹を思い浮かべると、滝野や、晶子、登美子などの様々な女性との三角関係に見えてくるのは、私だけでしょうか?



素敵な夜をお迎えください。



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