生徒さんの作品、可愛いご親戚のお子さんたちへのプレゼント。
小物入れを開けると、自分の名前が出てくるなんて、もらったお子さんたちはなんて嬉しいことでしょう!
一足早いクリスマスプレゼントになりますね。
そして、日付は変わりましたが、次男次女たちのクリスマス音楽界も土曜日に行われました。
次女は、先日の記事にも書きましたが、スメタナの「わが祖国」よりモルダウ
次男は、ドラマにもなった『仁』のMain Title
どちらも、よく演奏できたと思います。

低学年は元気な声での歌あり、合奏あり。
ついこの前までは、わが子もそうであったのでしょうが、今は小さい子供達の元気に頑張っている姿を見る私自身、孫をもったような気分。
どの子を見ても、可愛くて仕方がありません。
クリスマス音楽界は、例年クリスマス礼拝の後行われていますが、すでに上の子どもから数えると通算14年出席。

お祈りから、聖書朗読、そして牧師様からの聖話、キャンドルサービスと続きますが、なんとこの行事は小学校の創設当初から行われているそうで、60年の歴史。その約四分の一近くを出席している自分にも驚きです。

今日の牧師様のお話は、以前も紹介したことのある絵本
シェル・シルヴァスタイン作・絵の「おおきな木」の事についてお話されました。
ちいさな男の子と仲良しだったリンゴの木。
木は、ちびっこの言うとおりに何でも言うことを聞き、惜しみない愛を与えた。
自分の身を削ってまで、愛を与え続け、最後には古ぼけた切り株になってしまいます。
そしてよぼよぼのお爺さんになったかってのちびっこがまた、その木に会いに戻ってきますが、その時さえも、木は限りない愛を与えるというお話です。
牧師様の言わんとすることは、愛は与えることということでしょう。
でも、凡人の私にとっては、与えるという行為に、犠牲的な意味合いを見つけてしまい、ついそんなちびっこを甘やかして・・ちびっこにとってはよくないのでは?と思ってみたり


はたまた、リンゴの木はそれで幸せなのだろうか?と思ってみたり


でも、きっと作者は、リンゴの木が喜んでしていることに犠牲的な意味はなく、それこそが『真の愛』であると言っているのでしょう。
う~ん。絵本一つとってもかなり、難しい内容に感じます。
愛は受けることでなく、与えること。そして見返りを求めるうちは、本物の愛ではないのでしょうが・・・。
まだまだ修行が足りない私です。

その人が、死後も「自分のもの」と呼べるもの、その人とともに永遠に残るものは、生存中に「与えたもの 愛」なのだ。
愛と励ましの言葉366日 著 渡辺和子より
それでは寒さに負けず、穏やかな休日をお過ごしくださいね。
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