お母さまの素敵なアクセサリートレーとマララさんと荻野吟子 | ポーセラーツ&シュールデコール【Atelier Memory】の教室ブログ 栃木県宇都宮市

ポーセラーツ&シュールデコール【Atelier Memory】の教室ブログ 栃木県宇都宮市

ポーセラーツ &シュールデコール・ プリザーブドフラワー・グルーデコ・フレンチデコ・カルトナージュ教室 宇都宮  アトリエメモリー

おはようございます。
次男の体調も回復し、また生活も普段通りに戻りつつあります。そして、昨日は久々に長男と二人で買い物もでき、彼がまだ幼かった頃、手を繋いで歩いていた頃をふと思い出しました。
今度手を繋ぐときは、私が年老いた頃になるのでしょうか・・・。ちょっと寂しいですが。

さて、先日インストラクターコースの生徒さんが、お母さまを連れてレッスンへいらっしゃいました。
お母さまも、今までお仕事が趣味のような方だったので、ポーセラーツ体験をなさって、とても楽しいとおっしゃっていただきました。
お母さまの作品。素敵なバラが咲いたアクセサリートレー。



こちらは、洗面所に置かれると、パッと明るくなりそうですね。こちらの転写紙をとても懐かしく感じる古~いインストラクターの方もいらっしゃるのではないでしょうか??

お作り頂いた日にちも、記念に入れられたので、使われるたびに思い出していただけそうで、私も嬉しいです。



さて今年のノーベル平和賞を受賞したのは、パキスタンのマララ・ユスフザイさん(17)
マララさんが生まれ育ったパキスタン北西部では、イスラム武装勢力が「女子が教育を受けるのはイスラムの教えに反する」として女性の登校を禁じ、マララさんは命をねらわれても、「全ての子どもに教育を」と負けずに発言を続けています。

マララさん、素晴らしいですね。


そして、このマララさんの話を聞くたびに、私は以前読んだ渡辺淳一氏が書いた『花埋ずみ(はなうずみ)』に出てくる、主人公を思い出します。

学問好きの娘は家門の恥という風潮の根強かった明治初期。遠くけわしい医学の道を志す一人の女性。日本最初の女医こそ、この主人公の荻野吟子です。

彼女は、夫からうつされた病気を、異性に診察される屈辱に耐えかねて、同じ苦しみにあえぐ女性を救うべき、様々の偏見と障害を乗り越えて医師の資格を得ました。

下谷練塀町にある好寿院の院長が入学を許可したとはいえ、初日から吟子には驚くことばかりでした。

ここからは、抜粋です。

突然、ざんばら髪の色の浅黒い大男が教壇に立ったかと思うと拳を振り上げて喋り始めた。

「諸君、宮内省侍医、医学士高階経徳経営する、この光栄ある好寿院に、女性医学生何のなにがしを迎えたことはまことに慚愧にたえない。今や医学道は地におち、女、子供の職業の具と化しつつある。女賢(さか)しゅうして家つぶし、今や医学をつぶさんとす、あに憂えざるべけんや」

 それと共に一斉に「わあ」という拍手が沸いた。
 続いてその横の大将髭の男が立った。

「諸君、我々は遂に今日ここに女学生を迎えるに至った。我々は婦女とともに医学を学ばねばならない。婦女と並んで講義を聞き、実験をするのである。すなわち、我々は婦女と同等に成り下がった。この責を何とするか」


 明治20年頃からは吟子のような手数を踏まなくても、各私立医学校では女子の聴講を許し始めたが、その頃でさえ入学者はせいぜい一、二名に過ぎなかった。医学校といっても殺伐な維新の名残が尾をひき、明治版暴力教室といった雰囲気があった。大方の女子は怖れおののき、神経衰弱になったりして中途退学し、相当意志の強い者か、図太い神経の持ち主でないかぎり、女性で長続きすることは出来なかった。

 こうして明治28年には当時、最も多く女性聴講生のいた済生学舎でさえ、相次ぐ風紀問題から終いには刑事問題にまで発展し、遂には女子学生全員に退学を強要する、といった結果まで招いたのである。 

 こうした女子医学生の苦しみは明治33年に吉岡弥生が女性専門の東京女医学校を創設するまで続いたわけだが、その20年前に、ただ一人で荒くれ男の中にとび込んだ吟子の苦しみが並大抵のものではなかったことがわかる。

     「花埋み 著 渡辺淳一」より



マララさんも、日本の子供達も頑張れるように、私たち大人もしっかりしなくてはいけませんね。

それでは、今日も一日頑張ります!




携帯電話でのお問合せはこちら




記事を読んだら、クリックお願いします。

にほんブログ村

こちらも、クリックお願いします。

ポーセラーツ ブログランキングへ