昨日は、前回ポーセラーツで花器と、メタルにメッセージを作っていただいた生徒さんが、それにお花のアレンジにみえました。
花器はこちらです。
いつも、お買い物に行くと、必ずお話をしてくれて、帰りにはいつもお土産のお菓子をチョコっとつけてくれるお店のおばちゃん。
そのおばちゃんに、是非とも感謝の気持ちで、何かをプレゼントしたいという優しい生徒さんの気持ちに、こちらまで、嬉しくなりました。
花器の下には、金のマーカーで、「柏屋さんへ
」と実は書いてあるのです。白磁のメタルには、桜の転写紙と「Thank you」
和菓子やさんに合うように、ちょっぴり和テイストも入れて、お作りいただきました。
生徒さんも実家が遠いので、そのおばちゃんの笑顔に、どんなにか気が休まることがあったことでしょう?
遠くからお嫁に来た私にとっても、そういう地元の人との交流は、結婚当時とても有難かったことが思い出されます。
モノとして形にする、しないは別にして、ひとのことを思いやるという美質は、失われてないと感じました。
最近子供の教育のことを、何度か書いていますが、以前読んだ本をもう一度読んでみました。
人によって感じ方は様々でしょうが、私にとっては、頷くことも多く、まして永遠のゼロを観てから、戦後の日本については、何を失い、何を得たのか?ということを考えることもあります。
その本の中に、書いてありました。
戦後になって、家庭像はまず形から崩れた。核家族化が進み、少子化が進み、家にいるのは父と母と一人か二人の子供だけ、ということになったのだ。社会の一単位として最小限のスケールである。
親子関係は変質し、民主的になったと言えばきこえはいいが、父親に家長たる重みがなくなった。対等な仲間でグループを組んでいるだけのようである。そして子供は、子供の分際、というものを知らず、未熟なのに一人前に扱われる存在になった。
実は、こういう戦後の家庭像は、教育力というものを深刻に損失しているのだが、気がつく者は少なかった。この子たちには不自由な思いをさせたくない、という思いばかりあって、与えることに夢中になりすぎたのだ。
その結果、もうひとつ失われたのが、我慢する能力である。今の日本人は、我慢することが能力のひとつだったなんて、考えたこともないのじゃないか。
ものの所有が自分の自負のよりどころだとすれば、どこまで行っても真の満足感は得られない。今何かが手に入らないことを、とりあえず我慢して日々の生活に精進する、という美質を戦後の日本人は失ったのだ。
“行儀よくしろ。 著 清水義範 ちくま新書”
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