先週、パソコンにてお問い合わせいただいたW様。メールアドレスが違うのか、お返事をお送りできません。
お問い合わせ頂いた方には、なるべく早くお答えはいたしておりますが、もし返信がない場合は恐れ入りますが、もう一度ご連絡いただけたら、有難いです。
さて、可愛いリボンの小物入れ。
スポンジングしたり、転写紙を貼ったり、マーカーで塗ったり、雰囲気が色々で、楽しめます。
生徒さんの小物入れを、一同並べるととってもキラキラ!
可愛いです。昨日、録画をしていたテレビを子供と観ました。
TBSの「世界ふしぎ発見」
我が家の次男が大好きなので、先月放映されたものでしたが、“スリランカ”特集。
サンスクリット語で光輝く島という意味。
数年前スリランカのご夫婦が、二度我が家に訪ねてきましたが、その時にはスリランカという国自体あまり知らず。
この歳になって初めてスリランカについて知る事が出来ました。
スリランカの人たちは反対によく日本のことを知ってくださっています。
1951年サンフランシスコ講和条約の際、日本が戦争の賠償責任、独立など様々な問題があった際、日本に有利になる演説をかのスリランカの蔵相、のちの大統領がしました。
日本とスリランカは同じ仏教が根付いているので、仏陀の言葉を引用して、セイロン(現スリランカ)は日本に対する賠償請求を放棄する旨の演説を行って各国の賛同を得、日本が国際社会に復帰できる道筋を作りました。
その方の名前は、ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ。
もし彼の発言がなければ、今の日本は独立していなかった可能性も充分に考えられました。
「日本の掲げた理想に独立を望むアジアの人々が共感を覚えたことを忘れないで欲しい。憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む」という仏陀の言葉を引用して、対日賠償請求を放棄する演説を行いました。
そして1983年にスリランカの首都をコロンボから古都コッテへ遷都するに当たり、コッテがかつてジャヤワルダナと呼ばれていたことに加え、彼自身の姓をも絡めてスリジャヤワルダナプラコッテ(輝ける勝利をもたらす町・コッテ)と改称の上、遷都。
彼はその後も日本とスリランカの交流に尽力し、90歳で亡くなったとき、角膜を右目はスリランカの人、左目は日本の人へと送られたそうです。
最近人気の「半沢直樹」
彼は「やられたら、やり返す、倍返しだ!」と言っていますが、あの当時憎しみを憎しみで返していたら、日本の国際社会への復帰はほど遠いことだったかもしれませんね。
ジャヤワルダナさん、本当に素晴らしい方なのに、日本人の私は今まで知らなかったので、子供たちも知ることができてよかったと思います。
スリランカの首都がコロンボだと、まだ間違えていた私は、一昔前の人らしいです
。そして、あのウイッキーさんがスリランカ人ということを、今日初めて知りました。
ズームイン朝でお馴染みのウイッキーさんの声を毎朝聞きながら、登校した昔がとても懐かしいのですが・・・。
素敵な一日になりますように。
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