8月31日午前4時23分
母が他界した
同じ月の19日に86歳の誕生日を迎えた
大正14年生まれ
36歳で自分を生んで
子供の頃は気付かなかったが
今思うと周りの友達の母親より歳が上で
そのことを随分気にしていたように思う
そのころは高齢出産の部類にはいるのだろうか
血圧も少し高めでやはり周りの母親より早い更年期にも
悩まされていたような気がする
そんなことはその当時考えもしない自分と一つ下の妹は
好き勝手にいろんな事をしていた
5~6年前持病の心臓病が悪化し
高齢ではあったがバイパス手術にふみきった
手術は8割方成功であったようだが
術後のリハビリがうまくいかず歩行が困難となった
その手術前に自分に託した小さい箱の中に
「じいちゃん(父)をたのみます」との走り書きと
傷害にしか使えないのに解らず入らされたものと
期限がきれてしまったのに何の説明もないまま
紙切れ同然ととなった二通の保険証書が入っていたのを今も忘れられない
父は母より6つ年下の今年80歳だが
自営業のためいまだ現役で仕事をしている
母がほぼ寝たききりになってからは一人で面倒を見ていた
車の運転が出来ないので通院なのど送迎には
自分と妹が都合をつけてしていたが
そんなことで父や母の役に立っているのだなんて
おこがましい考えがあった事は否定できない
ここから実家までは車で15~20分くらい
電話があればかけつけた
ここ数年はそんな実家からの電話がはっきり言って怖かった
「何かあった..?」
元気そうな両親の声に少し安心することもしばしば
最近特に感じた事がある
母は自分にすごく気を使っている気がする
特に父に対しては強い言葉や態度で接し
まあこれが五十年来連れ添った夫婦なのかなとどともおもったりしたが
妹に対してもやはり女同士からか自分とは明らかに違っていた
自分が買っていったものは「美味しい美味しい」と文句を言った事が無い
父や妹にはそうではないらしい
まぁそんなんで去年の猛暑の時など
エアコンもつけずに大汗かいて寝ているので
ちょくちょくお昼すぎ時間を見つけて行って
「エアコンつけないと死んじまうぞ!」そぅ言うと
「寝てるだけのもんが贅沢だ..」なんて我慢する
まぁ昔の人だった
でもコンビニで買ってきたかき氷を一緒に食べたり
「何食べたい?」って聞くと
ほとんど毎回「肉まん」と言って
ただ1個は食べきれず三分の一だけ食べて残りを自分が食べて
あと大好きだったコーヒーを飲みながら
遠くなった耳と少し不自由な言葉で1~2時間一緒に過ごしたことも
同じ話何回も聞いたり
今思えば少し懐かしくただ短かった時間に後悔もある
今年2月に某大学病院に入院し
あの大震災の時も病院のベットの上
しかも以前その病院で夜中に大声を出し看護師に逆らった前科(笑)があるため
今回は父が誓約書を書かされ入院
その内容がどうだったかは知らないが
入院の次の日から何日も眠ったまま
看護師に尋ねると「起きてるときもありますけどほとんど寝てますね」
いや明らかにおかしい
普段こんなに寝る母ではない
強い睡眠剤を投与されていることは誰の目にも明らかだった
これで家で唯一ベットの横にある簡易トイレで用を足すことができたのに
それも出来なくなるのではないか
入れ歯を外しっぱなしで
行くと当然手を付けられる事もないお座なりにおかれた食事が
なんともこの病院の体質を物語っている
『ウチは老人看護施設ではありません』
世間では名の通った設備も充実した国立の大学病院なんてそんなもんかと
改めて実感した
そこから母にとって辛く長いベットの上の生活が始まってしまった
<つづく...>