桜モノクローム | 人は人、僕は僕。

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 桜モノクローム



 音的には、スピーディーに歌詞が流れていきます。
 歌詞を読んだ時はバラードかなって思ったけど、そうじゃないんだね。

 もっとゆっくり流れると思ってたんだけど、全然ゆっくりじゃない。


 ここでもいい意味で裏切ってくれてるよね、曲を聴かなきゃ中身が見えないっていう。


 どこか、「哀しみの果てにたどり着いた孤独」に雰囲気が似てるかも。

 ただ、「哀しみの~」と「桜モノクローム」の早さは全然違うけど。

 また違う味のある、武器ですかね。




 歌詞について、語ると。。。


 裏切られて、嫌いになったのに、どこかで嫌いになれない「あたし」がいて、もうちょっとだけ待ってみよう、信じてみようと思った「あたし」が再び裏切られてしまう、という感じですよね。


 3年目っていう具体的な数字が気になるけれど、「3」ていう数字が歌詞にとって区切りが良い数字なのかな。僕は作詞してる時、多分そんなに数字は出さなかったとは思うけど、、、あとで見てみよ。



 現在と過去が歌詞の中で行き来してる感じ。
 思い出と、現在とが混ざり合ってる。


 嫌いになれない「あたし」の部分と逢いたい「痛い」の部分が、葛藤を生んでますね。

 
 「春風が吹く頃には あたしは乱れ恥じめて 一人色づいて舞ってます」


 の部分から、寒い冬から暖かい春になると、眠っていた「あたし」がそわそわし始めるんだろうね。

 何となく、桜の狂い咲きを想像する。
 丘の上の一本桜があって、毎年会いに来てくれる誰かを待ちわびて、枝を伸ばして花を咲かせてる、そんな感じ。


 「一人色づいて舞ってます」は、何となく「一人色づいて待ってます」とも取れるかな。


 …例えが悪すぎるけど。





 何年も桜の季節になると浮かれ始める「あたし」がいて、その度に傷ついてる「あたし」もいて、ループする。


 「今年こそは、今年こそは…」って声が聞こえるみたい。


 「開花を信じて散った 花びらを睨みつけて」の部分で、蕾から花は開けど、満開にはならず散っていった虚しさをも感じます。


 それから本当に終わらせようとする、願いも感じる。


 「嘘つき」の言葉からのカウントダウン。




 
 ……「あたし」が前を向ければいいんだけどね。


 



 以前司令官がインストアで作詞について言ってましたけど。
 確か「読める歌詞」とか。


 それは僕が作詞する時と同じで、僕はむしろ歌詞を声に出して読んでもおかしくない歌詞を造ることを前提で描いてたりします。僕の場合は歌詞だけど、短い小説でもあるように、を心がけてますが。

 だから、その部分では通じるものはあるかなって思います。


 あとはカタカナと言葉遊びが好き。
 読んでても違和感ないし。


 歌詞についてはこの辺にして。





 訓練ではいい味出しそうですよ。

 どうセトリに食い込んでくるかは必見かと思います。


 楽しみだね。