大事なもの。
抱えてるものが多すぎると思う今日この頃。
僕にとっての大事なものってのは、
僕の中に深く食い込んでいるもの。
心に入り込まないものはあっさり除外してしまうほど。
やたらむやみに称賛するのはとても嫌いだ。
そこに真実が見えないから。
否定するのは、他の人の心には届いても、僕の心には届かないだけ。
岡本太郎や、ダヴィンチ、ルノワール、ゴッホには何かを感じる。
僕は芸術評論家じゃないから細かい分析なんて何も解らないけれど(情熱的に説明してくれれば解ること)、脳に直接語りかけてくる何かは確実にあるわけです。
絵や音楽に対して共鳴する部分は人間一人ひとり違うし、何に安らいで、何に怒り、何に哀しむかも分からない。
世界的に評価を受けているものには「沢山の人が共鳴する」からだろうと思う。
しかし、きっとその「共鳴」の中には偽善も含まれていると感じる。
その偽善とは、自分の意思ではなく、他人の意思ということ。
自分自身の意思が消えて、賛同しておけば世間体は保たれるという安易な考え。
そんなものはくだらなくて要らない。
着眼点を養うためにはたくさんのものに出会うことが必要。
そして、たくさんの魂の通ったものを視ること。
きっと今の世の中に必要なこと。
本物の作品というものは、案外少ない。
自分にとっての本物の作品というものも、少ない。
一生にいくつ出逢えるのか分からない。
時間をかけて描いたもの、造ったものが全てではないはず。
時間のかからない=愛情や熱意、情熱が籠らない
そんなわけはない。
時間が短くても、長くても、そこに自分らしさを表現することが自体が、素晴らしい。