気持ちの問題。 | 人は人、僕は僕。

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 こんなこと書くと、嫌われそうだけど、




 同僚とも色々話してたりするけど、「プラマイゼロの関係が後腐れなくていいよね」って前にも話したな。



 話を聞いてもらったら、聞いてあげるというそういうプラマイゼロ関係です。




 同僚の人は僕の友達理論が分かるみたいで、てゆか、僕はそのプラマイゼロを求めているのに、「好意」を「当然」と受け止める人間が僕の回りには多すぎるみたいだった。



 それはたぶん、僕が他の人よりも年上で、回りがみんな年下からなのかもしれない。


 もちろん、年下の友達の中には好意を当たり前と思ってない人もいる。

 一部、そういう好意が行為に思う人がいるということです。



 年上だからって関係ないって言う人もいるだろうけど、僕の場合、誰であろうと一応は最低限の気を遣うわけです。その人の時間を拘束したりしたのであれば、なおさらね。


 だからどこかで誰かと会う時、地方からましてや来る人達にはご飯くらいは普通に奢るし、遠征した時なんかは誕生日が近かったりとかするとちっさなサプライズでお土産を持っていくんです。



 よくあるんだけど、友達が家に泊まりに来たり、遊びに来たりする時に「何か持って行こうか?」って言われても僕は「いいよいいよ、気を遣わないで」って言う。


 で、友達は何も持ってこないっていうパターン。


 こういうのは、気持ちの問題で実際「いいよ」って言われても持っていくのが「普通」だと僕は感じます。


 僕だけじゃなくてみんなそうだと思うけど「いいよいいよ」って実際言ってても、本音は「何かを持ってきてよ」って思ってるのが当たり前だと思います。



 別に高級なもの持ってこいとか言いませんよ。


 僕にとって「気持ちの問題」なわけです。



 僕は友達に「いいよ」って言われても、普通何か持って行きます。



 それはその人が無条件に泊めてくれるというありがたさを形にして「お菓子」だったりプレゼントだったりするわけです。


 寝床を貸してもらう上に、お風呂やトイレなども借りるわけだからね。

 しかも、その人の生活スペースに居座るってことだし。



 それをお金で解決してしまうのではなく「気持ちの問題」で解決するわけです。

 お金を出してしまえば、そこは宿泊先になってしまいますからね。



 

 帰省する時に親や妹達にお土産を買って行く行為に似てると思います。




 タダで泊めてもらって何もしないなんて、僕にはありえませんから。






 この話に納得する人としない人がいるだろうけど、人間として気持がいいのはどっちだろうね。









 そう考えると、親しき仲にも礼儀ありって言葉が分かるんじゃないかと思う。






 考え方が古いって言うのであれば、今の考え方はどうなんだろうね。


 友達の理論、理念そのものがもう違うってことだよね。


 つきつ持たれつではないのなら、それはもうただの「利用」にしか僕は思えない。



 利用する、されるくらいなら、するくらいなら、僕は友達なんて必要としませんよ。