人に無関心になりたくないけど、無関心にならざる得ない。 | 人は人、僕は僕。

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 僕が人の心配をするのは、人に無関心になりたくないから。


 無関心になったら、誰とも一緒にいられないし、誰とも喋れなくなるから。


 だけどね、無関心になりたくなる時もあるよ。


 最近ずっとそうだよ。



 人を気にかけることに疲れ始めてる。



 心配するのが好きな人なんていないよ。


 できたら温厚に過ごしていきたいよ、日々。



 ……僕が年上じゃなくて、年下だったら心配してくれたのかな。
 なんて思うときもあるよ。



 年上だからいろんな人の心配をしなきゃいけないってことはないと思うんだけど。


 人には限界があるよ。




 僕がプラスマイナスゼロの関係を望むのは、「聞いてもらったら聞いてあげる」とか、「してもらったらしてあげる」っていうのがあるから。


 ずーっと奢りっぱなしだったり、付き合ってもらったりばっかりなんて借りっ放しでしょう。



 僕は人に借りを作りたくない。


 作らせたくないの。


 だからこそ、プラスマイナスゼロを望むのに、もう望めない。



 恩を売りたいとかじゃない。


 心配することも、話を聴くことも僕にとっては当たり前なのに。


 気を遣うことも普通のことなのに、それを当然の行為だと思われるのは凄い嫌。




 気を遣うのは当たり前じゃないか。


 他人なのに。


 親しき仲にも礼儀ありだと思うよ。




 親と子でもない、彼氏彼女の関係でもない、他の縁の中では「労り」も「気遣い」も「心配」も存在するものだと思うのに。






 年上だから気を遣わなきゃ、年下だから気を遣ってもらって当然なんて間違ってる。







 ……人と人の繋がりを大事にしたいと思うから、たくさんの大事な人は僕には必要無いんだ。


 僕のことを解ってくれる人だけでいいけど、解ってくれてる人はほとんどいないから。



 だから僕は音楽と絵に全てを託してる。







 絵の中に全部全部、僕の気持ちを出して




 作詞で僕の中の感情を出すの。