再度投稿!日中戦争・戦記・ある兵士の『思い出』特集④ | 真実の空模様

真実の空模様

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(つづき)

戦闘部隊にとって捕虜を連れて行動するほど面倒なことはない。監視兵を付けなくてはならないし、食糧もやらねばならない。負傷していれば手当ても必要だし誠に厄介者である。
捕虜を五人一組にして数珠繋ぎにして連行する。
もちろん、抵抗若しくは逃亡した場合は射殺すると伝えておく。

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メモ捕虜と一緒に写真



本部としては大した交戦もなく行軍速度は若干鈍ったが進撃はなお続いている。
中條山脈、それは河北省を分断する太行山系の南西部でその末端は河南省と黄河で区切られている。我が軍が攻撃を開始した西北斜面は切り立った急斜面になっており樹木はないが、南東面は傾斜もなだらかで樹木も多く、谷川は内地同様に清水も豊富で安心して飲める水が多かった。
まだ緒戦ながらも昨夜から一睡もせず歩き続けた兵隊に正午過ぎやっと小休止、昼食の命令がでた。

私は、捕虜の少年兵一人を呼び寄せ、飯盒の飯を蓋に分けてやるけれど見向きもしない。
恐怖感か、意地か。
或いは饅頭ばかり常食にしているせいか、ただ水ばかり飲んで米飯を食べようとしない。

小休止は30分である。
再び行軍が開始された。

通信隊からの入電が多くなった。各部隊からの報告によれば連隊作戦は成功しつつあり、連隊本部は暫く現在地に留まり作戦を指揮することになった。

連隊本部は夕食の準備に取り掛かった。しかし平地の作戦と異なり、付近には民家がないので調達できる野菜がなければ、鶏や豚もいない。こんな時は携行の牛缶を切り食べるしかない。
こんな食事の時が慌ただしくて兵隊の気が緩む時だ。一組(五名)の捕虜が逃げだした。すかさず歩兵が追跡し制圧した。三八式歩兵銃は一発の弾で四人人まで貫通し五人目で弾が留まる。一列で逃げようとした捕虜を背後から一撃にて制圧したのだ。
他の捕虜の目の前で食事の最中であったが、誰も何も言わない。ここは戦場なのだ。戦場では捕虜が従わなかったり逃亡したりすることは友軍の生死にかかわるのだ。残りの捕虜達には食糧が与えられた。貴重な食糧だが食わさぬわけにはいかないし理不尽に殺害することはまかりならない。
正に困ったお客さんだ。
油断すれば死を覚悟で襲い掛かるだろう。衛生兵が手当てをしている捕虜の集団もある。

さて、月明かりに今朝戦死した兵隊を荼毘にする。
少年兵は食事を取らない。
『渇しても盗泉の水を飲まず』

ふと思った古語である。


メモつづくメモ



記:真正大和撫子

寝不足に注意してねニコニコ

(続き)

『渇しても盗泉の水を飲まず』
ふと思った古語である。


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明け方近くに急に部隊は動き出した。気が付いてみると本部の護衛に上等兵ばかりの部隊が一個小隊来ていた。昨夜のうちからあまりにも多くの捕虜が本部に送られてきたので、T少尉率いる下士官候補生が監視かたがた本部の護衛に来たらしい。彼等はこの作戦が終われば保定市にある教導学校に入学し半年後には伍長に任官する。連隊選抜の兵隊達で行動はキビキビと気持ちよい。教官のT少尉も陸士あがりのチャキチャキでまさに精鋭部隊だ。

前方から伝令。敵が集結中との情報である。作戦を練り対峙すること暫く、我が術中にはまった敵兵、九百八十五人、全員を掃討し我が方は負傷二名と大成功であった。

二日後、『中国無名戦士の碑』が我が連隊により築かれ白木の木柱にそう書かれた。

再び部隊は動き出した。戦場では感傷に浸る暇はないのだ。目前に敵兵あらば、これを掃討し、障害あらばこれまた乗り越え、友が倒れればこれを背負い担ぐ。
何処を歩いているのか皆目検討もつかない。
暫くすると友軍の中型機が二機、三機と近寄ってきた。発煙筒を焚き合図した。中型機は翼を大きく振り、友軍であることを確認すると、後方より次々と落下傘で弾薬等戦略物質を投下して行った。

通常、歩兵は小銃弾を百二十発携行するが作戦参加時はさらに三十発増、背嚢に手榴弾二発を持つ。山岳地では補給もままならない。今回の作戦では敵兵は六倍で弾薬の消費量も多い。

兵隊は食糧の補給よりも弾薬の補給を望んでいた。

毎日歩く、何処を歩いているのか。黄河が近いことは確かだ。

幾晩か野営したある日、偵察機が超低空にて飛来して通信筒を投下した。

南東方向に敵大部隊集結、距離5キロ。慌ただしく本部に出入りする兵士達。

我々兵隊は行軍が止まれば特別の任務がない限り、どこでも寝る。しかし、それぞれ工夫をして不意急襲から身を守る。地形地物を利用して5分でも寝る。それが次の戦力になるのだ。

私もウトウトとしていた。すると、誰かが首に巻いて汗にまみれた汚れた私の手ぬぐいをすっと引き抜く者がいた。

それは、小さな敵の兵士、食事もろくに食べない捕虜の少年だった。


(つづく)


記:真正大和撫子


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