憎っくき、坐骨神経痛。
人生、これに翻弄されまくり。

その黒歴史…実に20年越え。

決別すべく、アウトプットです😅

事の始まりは、職業柄か?腰痛があるので
職場の後輩が腰のマッサージ≠ツボ押しを
してくれました。

ツボはお尻でした。
私はうつ伏せの状態で、相手が上からエイっと一撃。
激痛でした。飛び上がりそうな程。
その瞬間から、お尻が痛い日々が始まりました。

お尻が痛いから、その痛みがだんだんと
足の爪先の方へと下がっていきました。
お尻~腿裏~ふくらはぎ~小指。
全て繋がって激痛になるまで
ものの2週間程でした。

車も使う仕事だったので、
乗降に時間がかかって、降りる際は
気絶しそうな痛みに耐えて、次の行動に移ります。
数分は前屈みで動けず(ズギーンという激痛に耐えてます)、待つ間、不思議がるお得意様に、
相方が『ちょっとあれで』って
フォローしてくれてました。←ラフな仕事がバレますね😅
↑あれでっていうのは、まだ本人も相方も
坐骨神経痛とまだ知らなかったから…

通勤は(も)歩けないので、タクシー。
タクシーですが、すでに1ミリも腰を動かしたくないし、動かすと激痛なので難儀でした。
時短とかメリットがあるはずなのに、
この時の私は振動NGなんで、
なるべくゆっくり行ってくれーって感じでした。

自身の運転も、アクセルからブレーキに
スムーズに動かせないこともあり
やめました。

日常生活全般に支障あり。
痛みがない時間や動作がありません。
日常動作はあえて書きません。全てなので。
最終的にはあくびでも激痛でした。
500mlのペットボトルも持つのキツかったです。

それでも休まず勤務してました。

で、友人の結婚式を控えていたので、
その前に、注射の一本でもしたら
治るのかな?(←⚠️私の勝手な願望です)
と思い、町の整形外科に行きました。

ここではじめて坐骨神経痛と知りました。

帰り道は一瞬泣きました。
多分、疲弊していて辛すぎたのでしょう。

この段階では注射はまだで、
確かコルセットとか手配してもらったかな?

結婚式は着物で行きました。
帯がコルセットみたいに支えてくれましたが、
着物でお手洗いは普通でも大変なのに、
+坐骨神経痛ですからね。
泣けますね。動けません。
友達が先に行くよーって言うほどに…
撮った写真は、笑っているのが多いものの、
自分じゃ、ひきつっているし、
当時の痛みが伝わってきます。

で、二次会までに一旦帰宅して着替え。
先の事情でお手洗い我慢して帰ってきて、
着替えもままならなくて、もうMAXにやばくて、
友達の家に行ってたんですが、
お手洗いまで下り階段。
急ぎたいけど激痛で急げなくて、
あぶなかったー(>_<)

そんなこんなで、仕事も最盛期だったので、
それが落ち着いたら、しばらくお休ませて頂く
事になりました。









※この話は20年前の出来事です。
普通に20年前の話しています(驚)
この回想作業続きます。なぜ?