- 前ページ
- 次ページ
2007年
5月(2ヶ月~3ヶ月)
妊娠発覚
たー父に報告(たー後あたし):心配山積み!
たー祖父母に報告(たー):驚き・・・?
たー母に報告(たー):一番喜んでくれたかも
マイパパに挨拶(二人で訪問)
マイ祖母に挨拶(あたし):意外とすんなり受容
マイママに報告(あたし):ママパニック
5月末
つわり開始
たー実家のほこり・ニオイがダメになる
イライライライラ
おっぱいがパンパンに張る
(ノーブラで出勤)
人のニオイが気になって仕方ない
とにかく毎日不快
味の濃いものが食べたくなる(揚げ物・肉・カップラーメン!)
すいか!
せんべい!
電車に乗りたくない病
軽い潔癖に
お水じゃなくてジュースが飲みたくなる
野菜嫌いに。
特に根菜!じゃがいもさといもはおえってなる。
カレー大好物に
お腹を締め付ける服が着られない
6月(3ヶ月~4ヶ月)
休職
とにかく眠い
12時就寝
7時半起床
気がつくと寝てる→5時
夕飯の支度
6時半 仮眠
8時 夕食
9時半 仮眠
12時 就寝
の生活。
7月(4ヶ月~5ヶ月)
眠気とつわりと闘いながら結婚式準備は佳境へ
月末は結婚式準備でイライラ
早くも胎動らしきものを感じる
8月(5ヶ月~6ヶ月)
挙式
つわりからの開放
やたら優しい色合いのものにひかれるようになる
(特にピンク!)
逆にカーキなどのアースカラーを拒絶するように
胎動と確信
古い友人との再会ラッシュ
相変わらず眠い
性別やや判明(多分女の子)
急激にお腹が出てくる
9月(6ヶ月~7ヶ月)
復職(異動)
家事に仕事に気合満点に
性別ほぼ判明(女の子)
お腹が張るようになる
胎動はどんどん激しくなる
なんとなくの違和感を感じて病院へ
切迫早産の疑いで自宅安静
翌日出血、切迫早産で緊急入院
精神的には安定してくる
10月(7ヶ月~8ヶ月)
退院
自宅安静後、職場復帰
早産防止の薬服用・タクシー通勤
ただし、仕事は業務軽減・休みがち。。
それでもお腹は相当張るので、恐る恐る生活をする感じ。
荷物が持てなくて食材の買い物もできない。
11月(8ヶ月~9ヶ月)
ぎっくり腰で自宅安静命令
(仕事があるので、無視)
胃が子宮に圧迫され、つわり再開のような感じ
気持ち悪さと激しい胎動で眠れない日々
(平均睡眠時間3時間)
末頃になってやっと張りが治まってくる
12月(9ヶ月~臨月)
産休
早産防止の薬服用終了
家事が普通にできるようになる
溜まってた用事を一気にこなす
半ば過ぎより軽い生理痛
お腹が下がった感じで、食欲回復
クリスマス頃、前駆陣痛あり(3時間くらい、7分~10分間隔)
末頃、前駆陣痛あり(2日間、間隔不定期)
圧迫痛
1月(臨月)
朝方に胎動と圧迫痛(子宮の中から何かが出てきそうな感じ)
足の付け根がつれるような感じが強くなる
体重増加
「結婚の決め手」
結局あたしは「あたしの人生からたーが一切いなくなること」だけは耐えられないと思った。
あたしはあたしらしく生きるために、最大限あたしの生まれてきた価値を見出すためのもっと条件のいいパートナーはいると思うし、
あたしの思う「結婚したい男」像はそんなに理想ばっかり追ったモノじゃないし、
他の男とそれなりに楽しい恋愛をしたりはできるし、
だから結婚相手はたーじゃなくてもいいんだけど、
「生きる」ために必要な存在であることに間違いはなくて、
他人である男女がお互いの人生の中にあり続けるためには「結婚」するしかないんだと、そう思った。
それがあたしがたーと結婚しようと思った決め手。
朝は新聞片手に背広着てぱりっと出かけて、
夜は深夜によれっと帰ってきて、こむずかしい本を読んで、PCカタカタ打って、
時には上司からの電話で呼び出され、同期で集まればいつのまにかビジネスの話になって・・・
毎日そうやって戦うビジネス戦士が世の中には溢れていて、
そんな風に身と心をすり減らして働いたってなかなか思うように生きられなくて、
幸せ掴むのって難しくって。
だけど、あたしはそういう戦う男が好きだ。
なのに、横にいる男はゴールデンタイムには帰ってきてのんびりゲームして、
チェックするのは日経新聞なんかじゃなくて、ネットの面白ネタ。
日付の変わる頃にはすやすや寝てる。
のんきなもんだよ、ほんと。
こんなに世間をナメてていいんだろうかと思いつつ、そういう寝顔をいとしいなと思っちゃうんだよなー。
このヒトは自分のペースでしかがんばらない。
自分のペースで手に入るものに満足をすることができる。
自分の手の内にないものを必要以上に欲しがったり、
そういうものを持ってるヒトを妬んだり、
今の暮らしや自分の生き方に卑屈になったりしない。
でも、貧乏くさくもない。
いいものを知らないわけでもない。
そうやって、ある意味戦う男はきっと手に出来ない「幸せ」をしってる。
だから、あなたはそうしていつでも自分らしく、生きていてくれればいい。
そうやって生きるあなたの横で、「不足」をあたしが感じるなら、
不足分はあたしが補うから。
あたしが戦うから。
だって自分が働いてみて気づいたから。
あたし自身が夢追い人で、あたし自身が肉食だったの。
なりたい自分像や果たしたい野心を自分じゃないヒトに託して生きるなんて、
きっとあたしみたいなワガママな女にはできない。
人に期待をして「こうあってほしい」なんて思うことは、一番の破綻のモトだと思う。
自分で描く何かがあるなら、それは自分にしか叶えられないもので、
それを託せると思えることがあったとしても、それは錯覚にすぎなくて。
いつか少しずつベクトルがズレていることに気づく。
そしたらもう、傷つけあうことしか出来ないのだと、あたしは思うの。
自分の夢や想いは責任持って自分で叶えればいい。
お互いが自分の思うように生きることができて、
その生き方が全く違うものであったとしても寄り添っていられることが奇跡だと思うから、
だから、あたしは結婚をしたの。
「別れの日 そのあとのこと」
涙が止まらない。
思い出がとめどなく溢れてくる。
別れようと思った理由と
いつか、あなたが変わってくれる日が来たら、もう一度一緒になりたいこと、
その日がもし来なかったら、この決意はきっと間違いじゃなかったって証拠なんだってこと、
それからなにより、
辛かったあたしの十代、どん底のあたしを救ってくれたこと
4年半、一緒にいてくれたことへの感謝の気持ちを
送信した。
こういうの、よくないってわかってるけど、けじめとして、あたしは送信せずにはいられなかった。
そんなあたしに
「俺は一生お前に思いを寄せることになるかもしれん」と返信があったのを、あたしは忘れない。
泣きまくってるあたし。
携帯が鳴った。
彼からだった。
「テレビの接続してるんだけど、コード忘れたみたいだから取りに行く」
もう、来ないでよ。
顔見たら辛いよ。
家が近いのはこういうとき残酷だ。
電話が切れてすぐに来た。
そのとき号泣したたあたしを見て、「お前が泣くなよ」と言った。
普段は強がりで、あたしは今まで彼が未練がましいことを言ったりするのは聞いたことがなかった。
そういうことは言わないひとだと思ってたし、そういうじゅくじゅくした気持ちにもならないひとなんだと思ってた。
「ああいうメール、送るな。辛いから。」
そう言ってコードを持って帰っていった数分後、また電話が鳴った。
「もういち部品足りないから取りに行く」
わざとなの?なんなの?
腹が立つとかではなく、一生懸命一人で生きる決意を固めようとしてるときに、顔を見てしまうのが辛い。
それなのに。
「情けないけど、俺、未練たらたらだ。」
って言って玄関にくしゃりと崩れて座ったりする。
嬉しくて悲しくてあたしも心がパンクしてる。
「こんなこと言って女々しいし、絶望させるかもしれないけど、お前が他の男のモンになるなんて考えられないし、
だから、しばらくはそういうことがあっても言わないでくれ。それから、たまに飯食いに来たりしていいか?」
なんて言う。
あたしも、そうしてほしいよ。
「こんな風にまで辛いと思わなかった。俺が変われば戻れるなら、できるかわからないけど、変わってみようと思う。だから見ていて欲しい。核から変わることはないだろうけど、お前の思うのに近づけるように、今のお前の考えが変わるように、俺が変わってみる」
そう言って、今度は本当に出て行って、その日はもう、来なかった。
「別れの日」
2005年11月12日、4年半付き合って、4年半一緒に暮らした彼とさよならした。
理由は、「価値観の違い」「将来不安」、そして「このまま結婚することに対する不安が拭えない」から。
付き合って1年半くらいで最初のプロポーズを受けた。
それからはずっと「結婚」をどっかで意識しながら暮らしてきた。
就職という転機を目の前にしていよいよ「結婚」の具体性が増してきた。
「プロポーズされた」というコトはすごくすごく嬉しいことなのだけど、
このヒトに一生ついていく、というのはなんだか納得がいかなかった。
あたしは男の人には外で戦う肉食獣でいて欲しい。
てんこもりの野心をキバに、壮大な理想を掲げて
がむしゃらに幸せを追求して欲しい、そう思ってた。
あたしはそういうひとの支えとして生きていきたかった。
だけど、このヒトはあたしの思う「男」像を真逆で生きてる。
そんなヒトにあたしの人生を委ねるなんて・・・
出来ない!
ちょうどその頃、いいかもなと思ってるヒトがいたので、今ならその人に縋れば(後から考えると大変失礼なのだけど)別れる決意もできるかも!と思った。
別れる決意を固めるのに、別れるタイミングを見計らうのに、随分時間がかかった。
胃がきゅぅぅってなってご飯があんまり食べられない。
3ヶ月くらい、そんな感じだった。
その間に何度も「結婚」や「生き方」、「幸せの感じ方」について話し合った。
話せば話すほど、「あたしの求める答え」と彼の口から発せられる答えとの違いに悲しくなった。
今考えれば、その頃のあたしは、別れる決心に納得できるようにあたしとカレの間違い探しをしていたようなもので、意見が食い違うのは当然のことなのだけど。
なのに、なぜかその頃、彼はあたしにすごく優しかった。
普段は亭主関白、オレ王様の彼が、あたしに優しければ優しいほど、あたしの心は切られるくらいに切なくて、
決心はついてるのに、いとおしいと思ってしまうのだった。
11月12日、私の祖母と父と私とカレとで別荘に行くはずだった日の朝、普段から出不精の彼が「面倒くさい」と言い出したのがきっかけだった。
その言葉を拾って、「あなたは私の家族を大事にしない」という喧嘩に結びつけたあたし。
反論する彼。
沈黙。
心の中で、「別れるなら今しかない」という声が聞こえた。
「ねぇ、別れよう」
ソファでふてくされてた彼に、台所の入り口からあたしは言い放った。
きっと冷たくて低い声だったと思う。
びっくりした顔をしたのも一瞬で、彼は「わかった」と。
彼は自分の父に電話して実家に帰れることを確認し、「今日中に出て行くから」と淡々と言った。
引越しの手伝い要員もすぐに集めた。
あたしはすぐに号泣だった。
彼はしばらくしてから「初めてフラれた・・・」とショックを受けてた。
「ここ、出てくのか・・」とつぶやいたり、あたしのことをいとおしそうなせつない目で見たりした。
あたしのことは本当に好きだったんだ、みたいなことを言ったりもしてた。
あたしはどうしたらいいかわからなかった。
そういうの、すごい嬉しかったから。
引越し荷物はすぐに作れた。
引越しヘルパーたちが来たときは、二人ともなんでもないように振舞った。
何回かの往復の後、最後の荷物を運び出すとき、ヘルパーで来てくれてたおにいちゃん夫婦が
「まぁ、がんばれよ」
って言った。
笑顔で返したけど、玄関閉めて、わあわあ泣いた。
この家に、もうアイツはいない。
今日からヒトリで寝るんだし、明日からアイツのいない毎日が来るんだ。
ずっとずっと一緒だったのに、これからはもう、いないんだ・・・。
いつか、あいつが変わってくれる日が来たら、もう一度一緒になりたい。
その日がもし来なかったら、この決意きっと間違いじゃなかったって証拠なんだ。
自分に言い聞かせながら、やっぱり涙はとまらなかった。
「ママになってもいいかもしれない」
そういえば、妊娠判明の日っていつだったんだろう・・。
どこにも何にも書いてなかった。
「忘れるわけない!」なんて思ってたけど、すっかり忘れてしまった。
4月の半ば、ほとんどたーの家にいるあたし。
ふれっつの影も消えうせて、どうしようもない嫉妬と不安から開放されて、気ままにだらだら都合のいい関係を続けてた。
ヒトリの淋しい夜と闘わなくてもいい。
イイオトコがいれば遊べばいい。
どうしても「今」結婚したいわけでもない。
年末に異動して以来、職場には(環境にも業務にも)なじめていなくて、ストレスはピーク。
自分なりに距離をおいて仕事と付き合おうとしてた。
「なりたい自分」も見つからず、「やりたいこと」もないソコに固執するのはばからしくて、ただ精神鍛錬の日々と思ってた。
年末には転職しよう!と、マスコミ業界の人に話を聞いたり、就活スケジュールを組んだりしてた。
「働く」ことに対する貪欲さは以前にも増していたこの頃。
なのに。
なぜかもう一方で、「あぁ、そろそろ子供もいいな」なんて思う自分がいた。
母子関係ってものにすごく絶望していて、こんな悲しくて淋しくて残酷な想いを抱いたまま、
自分が親になるなんてありえないことだと思ってた。
自分と同じ想いを自分の子供にさせてしまったら、と考えると恐怖だった。
自分の人生すらうまく生きられないのに、人の人生まで背負うなんて許されないことだと思っていた。
あの日、あたしの赤ちゃんの命をあたし意思が奪ってしまったあの日、なぜか強く「いつかは子供が生みたい」と
強く思った。
そのときがくるまで、心をじんわり育てていこう、と思った。
あれから、そんなに長い年月が流れたわけではない。
むしろ人間として、女として、社会人として、未熟な部分をぐりぐりえぐりとられて、
目の当たりにさせられた数年だった。
自分が、「母」になれるほどに成長した!って感じでもない。
でもなぜか、「もう、子供を生んでもいいかもしれない」って思ったんだ。
・・・すごく、自然に。
大学卒業のとき、母との長かった冬が確かに終わった。
そのことは、あたしの心にとってのすごく大きな転機だったことは間違いない。
いつかの会社の帰り道、公私共に本当に貴重な私の支えになってくれてる同期二人に
「あたし、子供つくっちゃおうかな、てゆうか、できてもいいかなって気分なの、今!」
って報告したのを覚えてる。
07年、4月のいつか。
高校生のとき、「もう生きてても辛いだけだし、自分はこの世には必要のない存在だと思うからもう死にたい。」と思ってた。
だけど、「死ぬ」って許されない気がして、自分自身に「生きる意味」を課すために「なぜ生きなきゃいけないか」を考えてた。
そんな頃のメモ書きが出てきたので、記録に残しておこうとおもってアップすることにしました。
「辛いということ」
「辛い」は「幸せ」の一歩手前だから。
だから、幸ていう字から一本線を抜くと辛になるの
辛いことを知ってるから、辛いことを乗り越えたからこそ、幸せを幸せと感じられるようになる。
辛いのは、幸せになるための準備期間だから、辛いのが長ければ幸せはおっきくやってくるハズ!
「人は泣きながら生まれる。」
幸せになるために。
初め、人はすべての悲しみとか辛さを背負って泣きながら生まれるの。
泣くことしか知らなかった赤ん坊が、笑えるようになるのは、泣くことを知ってたから。
初めから笑うことを知ってたら、「楽しい」や「嬉しい」や「幸せ」を感じることはできなくて。
泣くことしか知らなかったから「笑える」ことが楽しかったり嬉しかったり幸せなことなんだって、思えるの。
「生きる意味」
とかなんとか言いながら、人は生きている間に「人はなぜ生きるのか」の本当の、揺らぎない答えなんて見つけられない。
死ぬとき、もしくは、死んでから真の意味を知ることが出来るんだとおもうんだ。
でも、その答えを知ることができるのは「生きる」ことを全うした人間にのみ許されること。
どんな死に方をしても、きっと「生きることを全うした人」は、死後幸せを感じられるんじゃないかと思う。
死は、生と隣り合わせで、一直線上にあるんだ。
「ともだち、おや、こいびと、せんせい」
どんな人との間にも愛は生まれ得ると思う
カタチは違っても、愛は生まれ得ると思う
人は誰かに愛されないと生きられなくて、
愛せないと生きられない
でも、生きてるから愛せるし、生きてるから愛されうるんだ
愛は気づかないことも歩けど、今ここの「生きてる」ことは必ず誰かの愛を受けてるってこと。
下心のない、愛を。
「自分を必要としてくれてる人は必ずいて、自分も必ず誰かを必要としてる」
生きてるものには心があるから、笑うし、泣くし、怒るし、喜ぶ。
生きてるから、できること。
生きてるものだけに、許される権利。
与えられた義務。
死んじゃえば自分なんてなかっただなんて、うそだよ。
どんな人でも生きることに意味を持っていて、それに本人は気づかないことも多い。
何億とか何兆とかっていう巨大な数だって、バラバラにすればただの「1」という単数にすぎなくて。
あたしたちは世界という集合体の1個体にしか過ぎないけど、でも、その1個体1個体が存在するからこそ、
この世界が存在するんじゃないかな
この世界を形作るもの全てはプラスイオンとマイナスイオンでできていて、マイナスがないとプラスもないの。
じぶんを「マイナス」な人間だと思うからこの世に必要ないなんてことはないんだよ。
マイナスのあなたがいないと、この世界は成り立たない。
「涙」
流した涙の分だけ自分も誰かに涙させてる。
流した涙の数は、生きてるときにもらう涙と死んでからもらう涙の合計なんだ。
感情を理性で破壊するくせに
気持ちを大事にすべきときに
素直になれない
何が大切で、何を失っちゃいけないか
考えすぎてホントから遠ざかる
頭で生きるより心で生きてみようと反省して
気の向くままに動いてみる
いつのまにか、気の向くままがわがままに変わる
おろかなあたし
自分の気持ちは考えないこと。
自分の気持ちは感じること。
人の気持ちは考えること。
感じること。知ること。
決め付けないこと。
素直でいること
簡単なことなはずなのに、すぐに忘れちゃう
不器用なんかじゃなくて
ただただおろかなのだとおもう
こんなおろかなあたしなのに、大事にしたいと思える人たちが周りにたくさんいてくれて、幸せ者だなぁ、あた し。
大切にしたいと思う人がそばにいてくれてることに慣れちゃいけない
大切にしたいと思う人にこそ、素直でいたい
なのにあたしは、時々そのことを忘れる。
周りのヒトたちにはすごく恵まれていて、
それでもあたしはまだ欲張って、色々欲しがって、
余裕がなくなって
ちょっとぎすぎすしてたかなぁと思う。
それで、ちょっと疲れちゃって
じゅくじゅくした心を
わかって欲しくて、
慰めて欲しくて、
受け止めて欲しくて、
「だいじにされたい」しか思ってなくて。
ひとを大事に想うことができなくなってたのは
あたしだったんだなぁって 思う。
そんなことを思い出したのは、ゆっくりしたお休みだったからかなぁ。
朝起きて、いってらっしゃいして、掃除したり洗濯したり、
ご飯作って、帰ってくるのを待って、
毎日帰ってくるのに、帰って来るのが待ち遠しくて、
元気で仕事に行ってくれて
楽しそうな顔しててくれる
そのために、あたしの毎日があって。
もちろんやりたいことややらなきゃいけないことがあたしにもあるんだけど。
イライラしたり、悶々したり、喧嘩したり、罵りあったり、がっかりしたりするんだけど。
だけどどんなに「にくい!」と思っても、ついつい好きなものを見たら買ってあげたいと思うような・・・
自分が働いてみて余計に、そういう穏やかな暮らしを本当に大切に想えるようになった気がする。
美味しい顔や楽しそうな顔を見るために一生懸命してあげたくて、疲れちゃったときはあたしがどうにかしてあげたいって思えるひとって、そうそういないんだなって思うけど、そういうひとにもう一度出会えたら、それでそのひとがもしあたしを必要としてくれたら、それってきっとすっごいいとおしい毎日なんだろうなぁ。
あたりまえみたいなことなんだけど
けしてそれはあたりまえのことじゃなくて
そういうひととそういうくらしができることは
すごいことなんだなぁって。
いくらはたらいても どれだけおかねがあっても
どれだけだいじにおもってくれても
おたがいがそうおもえるかどうかがいちばんだいじで。
公私ともに前をむかなきゃって必死になりすぎて
そういうことを思うとつい思い出に浸ってるだけなのかなとか、現実逃避なのかなとか思って考えないようにしてたから
逆にそういうのわかんなくなって、やさしいきもちを忘れてたのかもなって思った休日でした。
とりあえず、明日からまた一週間、仕事がんばるかー!
幸せな江戸川区民を増やすために。(笑)
母との摩擦 すれ違い 不信感・・・
15歳から、あたしと母は うまくいかなくなった。
今考えても 当時の母は少しおかしかったと思う。
当時のあたしもおかしかったと思う。
二人とも、心は崩壊状態だった。
会話ができなくなった。
手がとんだ。モノがとんだ。
金切り声があがった。
涙が絶えなかった。
母が信じられなくなった。
理解されないことが苦しかった。
このままじゃ、あたしは 母を殺してしまう。
そう思って家を出た。
しばらく月日が流れて、あたしは母に媚びた。
昔昔の、仲のいい母と娘に戻りたかった。
もう一度 心の底から笑えるように、なりたかった。
もう一度 楽しい思い出を 作りたかった。
だけど、うまくいかなくて。
公的にもめ始めて あたしは母を信じていいのかわからなくなった。
あたしは母を、こっそり 裏切った。
もう、楽しかった日々には戻れないのかもしれないと思った。
ほんとにほんとに、苦しかった。
切なかった。
あたしはこうして、数年間 自分の中にある「ママ」を殺してきた。
殺してしまうのは、本当に辛かったよ。
自分の子供を殺して
自分の母を殺して
あたしはなんていう人間なんだろう。
母を恨んで
母を裏切って
そうして、あたしは自分もボロボロになった。
仲のいい親子を見るのが辛かった。
自分に戻る家がなくて
自分に頼れる家族がいなくて
辛かった・・・・
だけど、いろんなことの決着がついて
久しぶりに母と話した。
久しぶりに会うとき、本当は少し、緊張したんだ。
怖かったんだ。
でもね、いろんなことが決着がついとのと同時に
母とあたしは、ママと娘に戻れたみたいなんだ。
変に疑うこと
変に気を使うこと
しなくてよくなったよ。
すごく素直になれるようになったよ。
心から、笑えるようになったよ。
こんな日がもう一度来るなんて
信じられなかった。
ずっとずっと夢見た日が、やっと来たんだ。
ママが昔のママみたいに笑うんだ。
あたしは、久しぶりに、ママに心から甘えられるんだ。
生んでくれたことを 本当に感謝できるの。
ママの愛を、めいっぱい感じられて
ママの愛を、素直に受け止められるんだ。
幸せすぎる。
ありがとう。