卒業式の国歌! | 昨日と同じかもしれない今日

卒業式の国歌!

ウチではぼーっといつものように卒業式が済んでいるのだけど。

やっぱり(というかなんというか)東京都辺りを始めとして、国歌・国旗がいろいろとやかましいようなのだった(しみじみ)


こんなことを言ってもナンの意味もない…というか、この問題の「議論」からはズレまくっている、というのはわかった上で。

でも、ノンキな私立校の一教員としては、とりあえずこう思うのだった(しみじみじみ)


卒業式の国歌斉唱で、教職員が立とうが座ろうが……



誰も見ちゃいねえぞ(真剣)


…いや。

ホント、こんなこと言っても意味はないので(汗)

でも、現場なんてそんなもんでしょう(しみじみ)


だって、教職員が立ってるとか座ってるとか、そういうことが会場で「見える」位置に座っている人はごく限られている…はず。

ってか、ほとんどの生徒・保護者・フツウに仕事をしている教職員から、そんなモノは見えない。

#ウチの場合ですが。


それが「見える」のは、いわば「神の視点」に立っているから…なのかもしれない。

そうでなくてもややこしい現場に、そんなわけのわからない「神」まで出現されちゃった日にはもう(しみじみ)


現場の教員にとって、卒業式でホントに問題なのは、非日常空間をどのようにして作ってあげるかということだ。

もちろん、生徒と保護者のために。


私は、現場の教員というのは一種の職人だと思っている。

教育を動かすものがどんな思想であろうとも、それは変わらない。


それだけで知らんぷりしていられるほどノンキな状況になっていないのが東京都をはじめとした公立の現場なのだろうけれど。

でも、それ自体がどこか病んでるよなーと思う。


現場の教員はいいかげんでいいのだ!

国歌を歌うって決めたのに、起立しない教員がいた…なんて、そんなことはしらんぷりすればいいのだ!

信念で起立しなくても居眠りしてて起立しなくても、しらんぷりだ!


だって、生徒だっていいかげんなんだもん!

「いいかげん」を黙って認めないと、みんなビョーキになっちゃうぞー(しみじみ)


そして、「いいかげん」は「黙って」しらんぷりをする、ということ。

大人なんだからさー、がんばらないと、そういうところは。


国旗・国歌のときに立ちたくないなら黙って座ってればいいのだ。

座ってることを認めろ、なんて言う必要はない。

もちろん、立たなくちゃダメだ!なんて主張する必要だってない。

そんなことは右翼とか左翼の人がやってればいいことであって、卒業式で校長や教員がすることではない。


でも、たぶん、十数年前辺りの教員&校長&教育委員会はそうやって「いいかげん」にこの問題をしのいでいたはずなのだ。

なぜそれができなくなっているのか、ということを考えると、ちょっと微妙に暗い気持ちになるのだけど。


現場の教員&校長は常にずるい大人でなければならない。

だって、美しくなければならない主役は子供なんだもん(しみじみ)

問答無用で汚れた大人でいる、ということができないなら、そんな教員&校長はなんというか、結構邪魔。

#あなたが美しい人かどうか、なんて、どうでもいいことなの。誰も気にしてなんかいないのよココでは(真剣)


もっとも、学校にはいろんな人がいていいのだから、邪魔な人だっていてもいいわけで。

その辺もいいかげんなのだった(しみじみじみ)