【2011年6月24日】
去年の今日
乳がんを告知された日
別のSNSに去年書き残してた日記を読み直してみた
その時の気持ちを思い出して胸が苦しくなった
ここのブログには7月の入院&手術からしか書いてないから、初めて載せる日記です
その時の日記を抜粋したものがコチラ
↓ ↓ ↓
事の初めは、5月26日。
ふと左胸に触れた瞬間『ポコッ』としたものに気付く。
マサカな~とは思ったけど、明らかにシコリ。
5月27日、近所のY産婦人科に婦人科検診を兼ねて行ってみる。
エコーで時間をかけて診察するが『ここでは分からないので大きい病院で詳しく調べてもらう必要がある。でもシコリがあるほとんどの人が良性です』と言われる。
5月30日、某HP乳腺外科受診。
初めての事で慣れない土地での慣れない大きな病院に行くということで、相方くんが休みを取って連れていってくれた。
長い待ち時間を経て、マンモグラフィー&細胞針(シコリに針を刺して細胞を採る)をする。
(相方くんありがとう)
6月8日、造影剤を入れてのMRI検査。
今日はとりあえずMRIだけで終了。
6月10日、結果を聞きにHPへ。
結果は『良性』。
でも細胞針の結果がハッキリ出なかったみたいで、もう1度細胞針をする。
MRIの結果は、シコリ部分がハッキリクッキリ写っていた。
結果を聞いてすぐに家族に電話連絡。
みんな『よかった~。ほっとした~。』と喜んでくれた。
6月15日、相方くんの仕事の関係で津山に帰省する準備をしているところにHPから電話。
主治医のH先生からでした。
嫌な予感って的中するものですね。
津山に帰れるとワクワクしてた気持ちを、『絶望という名の崖っぷち』から一気に突き落とされた気分にさせられる一言を耳にしてしまいました。
H先生からの電話の内容は『この間の細胞針の結果で悪性の可能性が出てきたから、転移がないか全身をくまなく調べる必要がある。』ということでした。
早急に検査してもらえるようにH先生が『某クリニック』に予約を入れてくれて、津山に帰省する事も考慮して、広島に帰って来てすぐ受診できるように手配してくれました。
6月15日の晩から津山に戻って約1週間ゆっくり過ごす。
楽しいはずの帰省が、頭の中は『悪性の可能性=癌』という気持ちでいっぱいだった。
6月21日の朝、広島に帰って来てすぐ、HPへ紹介状を取りに行く。
6月22日、朝8時に相方くんに送ってもらって某クリニックへ。
検査の関係で、筋肉を使うと上手く診断ができないらしく仕事前に送ってもらいました。
まず水分を500cc摂って、1時間横になって、PET-CT検査で30分くらいかけて撮影して、また30分くらい休んで終了。
ほとんど寝てた…けど、検査費用は高額です。
6月24日、津山から母が来てくれて、一緒に検査結果を聴きに行った。
待つこと2時間。
予約時間をだいぶ過ぎていて、最後から2番目の患者になってしまった。
『絶対おかしい』・・・そんな雰囲気だった。
やっと呼ばれて診察室へ。
結果は・・・『乳癌』でした。
ショックの何ものでもなかったです。
早期発見だったから、『その部分だけやや大きめに取ったら終わり』と言うことで、『7月4日入院で、7月5日に手術をしましょう』とすでに先生が部屋も手術の予約もしてくれてました。
それから私自身の戦い。
泣いても泣いても涙が止まらない。
こんなことになって、これから先莫大なお金がかかって家族を困らせるなら、私なんていないほうがいい!死んだ方がマシなんじゃないか?!って本当に悩みました。
だけど家族や彼氏や友達に支えられてること、『何事もポジティブに考えること』を教えてもらって、私も前を向いて生きていこうと決めました。
だけどその頃から痛みが激しくなりだして、不安がさらに増してきました。
怖くてまた涙が出ました。
↑ ↑ ↑
この日から1年経ったんだな~
よくがんばったなぁ・・・自分!!!
この時は『温存で取ってしまえば、いくらガンであっても大丈夫』と思ってた
まさか悪性度の高いもので、抗がん剤治療をするとも何ともこれっぽっちも考えてなかった
今から考えたら、全摘してしまってたほうがよかったんじゃないかと思う
だけど主治医は温存手術を押していた
その上、私は何も調べもしてなかったから『乳がん』っていう言葉しか知らなかった
乳がんがどういうものなのか知ろうとしなかったし、むしろ知りたくなかった
完全に現実逃避してた
とにかく痛みがひどかったからすぐに取ってもらいたかったのを覚えてる
最近はこの時と同じような痛みが両胸で起きてる
副作用なのか何なのか・・・
今度の検査で何もないことを祈るばかり
来年も無事に『乳がん3年目』を迎えられますように☆彡
去年の今日
乳がんを告知された日
別のSNSに去年書き残してた日記を読み直してみた
その時の気持ちを思い出して胸が苦しくなった
ここのブログには7月の入院&手術からしか書いてないから、初めて載せる日記です
その時の日記を抜粋したものがコチラ
↓ ↓ ↓
事の初めは、5月26日。
ふと左胸に触れた瞬間『ポコッ』としたものに気付く。
マサカな~とは思ったけど、明らかにシコリ。
5月27日、近所のY産婦人科に婦人科検診を兼ねて行ってみる。
エコーで時間をかけて診察するが『ここでは分からないので大きい病院で詳しく調べてもらう必要がある。でもシコリがあるほとんどの人が良性です』と言われる。
5月30日、某HP乳腺外科受診。
初めての事で慣れない土地での慣れない大きな病院に行くということで、相方くんが休みを取って連れていってくれた。
長い待ち時間を経て、マンモグラフィー&細胞針(シコリに針を刺して細胞を採る)をする。
(相方くんありがとう)
6月8日、造影剤を入れてのMRI検査。
今日はとりあえずMRIだけで終了。
6月10日、結果を聞きにHPへ。
結果は『良性』。
でも細胞針の結果がハッキリ出なかったみたいで、もう1度細胞針をする。
MRIの結果は、シコリ部分がハッキリクッキリ写っていた。
結果を聞いてすぐに家族に電話連絡。
みんな『よかった~。ほっとした~。』と喜んでくれた。
6月15日、相方くんの仕事の関係で津山に帰省する準備をしているところにHPから電話。
主治医のH先生からでした。
嫌な予感って的中するものですね。
津山に帰れるとワクワクしてた気持ちを、『絶望という名の崖っぷち』から一気に突き落とされた気分にさせられる一言を耳にしてしまいました。
H先生からの電話の内容は『この間の細胞針の結果で悪性の可能性が出てきたから、転移がないか全身をくまなく調べる必要がある。』ということでした。
早急に検査してもらえるようにH先生が『某クリニック』に予約を入れてくれて、津山に帰省する事も考慮して、広島に帰って来てすぐ受診できるように手配してくれました。
6月15日の晩から津山に戻って約1週間ゆっくり過ごす。
楽しいはずの帰省が、頭の中は『悪性の可能性=癌』という気持ちでいっぱいだった。
6月21日の朝、広島に帰って来てすぐ、HPへ紹介状を取りに行く。
6月22日、朝8時に相方くんに送ってもらって某クリニックへ。
検査の関係で、筋肉を使うと上手く診断ができないらしく仕事前に送ってもらいました。
まず水分を500cc摂って、1時間横になって、PET-CT検査で30分くらいかけて撮影して、また30分くらい休んで終了。
ほとんど寝てた…けど、検査費用は高額です。
6月24日、津山から母が来てくれて、一緒に検査結果を聴きに行った。
待つこと2時間。
予約時間をだいぶ過ぎていて、最後から2番目の患者になってしまった。
『絶対おかしい』・・・そんな雰囲気だった。
やっと呼ばれて診察室へ。
結果は・・・『乳癌』でした。
ショックの何ものでもなかったです。
早期発見だったから、『その部分だけやや大きめに取ったら終わり』と言うことで、『7月4日入院で、7月5日に手術をしましょう』とすでに先生が部屋も手術の予約もしてくれてました。
それから私自身の戦い。
泣いても泣いても涙が止まらない。
こんなことになって、これから先莫大なお金がかかって家族を困らせるなら、私なんていないほうがいい!死んだ方がマシなんじゃないか?!って本当に悩みました。
だけど家族や彼氏や友達に支えられてること、『何事もポジティブに考えること』を教えてもらって、私も前を向いて生きていこうと決めました。
だけどその頃から痛みが激しくなりだして、不安がさらに増してきました。
怖くてまた涙が出ました。
↑ ↑ ↑
この日から1年経ったんだな~
よくがんばったなぁ・・・自分!!!
この時は『温存で取ってしまえば、いくらガンであっても大丈夫』と思ってた
まさか悪性度の高いもので、抗がん剤治療をするとも何ともこれっぽっちも考えてなかった
今から考えたら、全摘してしまってたほうがよかったんじゃないかと思う
だけど主治医は温存手術を押していた
その上、私は何も調べもしてなかったから『乳がん』っていう言葉しか知らなかった
乳がんがどういうものなのか知ろうとしなかったし、むしろ知りたくなかった
完全に現実逃避してた
とにかく痛みがひどかったからすぐに取ってもらいたかったのを覚えてる
最近はこの時と同じような痛みが両胸で起きてる
副作用なのか何なのか・・・
今度の検査で何もないことを祈るばかり
来年も無事に『乳がん3年目』を迎えられますように☆彡