ポルティコ・カルテットやスーザン・ウェイヴスのメンバーとしても知られる英国のマルチ楽器奏者ジャック・ワイリーによる新しいプロジェクト、パラダイス・シネマによるセルフ・タイトルのデビュー・アルバムです。発表は2020年、レーベルは先鋭的なジャズのゴンドワナです。

 ジャケットの写真は一見しただけでは天然の椰子の木のように見えますけれども、実は擬態した電信柱なのだそうです。セネガルの首都ダカールで撮られた写真で、撮影者はアナ・ウッドとありますから、ワイリーのガールフレンドでしょう。

 ワイリーは彼女がセネガルで現地調査を行っていたのをよいことに、2018年と2019年の二年間に、ダカールに合計して7か月ほど滞在しています。本作品は、ワイリーが音楽にあふれた街ダカールに触発されて、現地で制作されたアルバムです。

 ワイリーはここでカディム・ムベイと出会います。ムベイはセネガルの伝統的なダンス音楽であるムバラックスのパーカッション奏者で、30年以上にわたりさまざまなアーティストと共演してきました。そのリストの中にはユッスー・ンドゥールも見つかります。

 ムベイは彼の弟子であるトンズ・サンベとともに、ワイリーのプロジェクトに参加することになります。二人が使用しているのはサバール、タマと呼ばれる打楽器です。タマは星野楽器のTAMAではなく、セネガルの言葉でいうところのトーキング・ドラムです。

 時に超高速のBPMとなる二人による太鼓の音が本作品の一つの核となっています。ワイリーはこの太鼓の音を時には6回も7回も重ねたり、テンポを遅くしたりと加工して使っていますけれども、とにかくその存在感は極めて大きいものがあります。

 ただし、ワイリーは本作品の制作にあたって、欧米人の傲慢さを極力回避するよう気を配っています。けして文化的搾取にならないようにムバラックスを咀嚼して新たなものを創造することがその一つです。ワイリーも心酔するジョン・ハッセルの第四世界シリーズの発想です。

 太鼓と自身の演奏するサックスやシンセサイザーなどのサウンドが重なり合った本作品は、確かにムバラックスそのままでもない第四世界のサウンドになっています。同シリーズに並べてもあまり違和感がないかもしれません。こちらの方がBPMは大きいですが。

 プロジェクトのタイトルはジャケットとともに印象的です。ダカールには独立直後にたくさんの映画館が建設されましたが、その後の経済的困難を経て、今ではいずれも廃墟のようになっています。あり得たかもしれない未来への期待にあふれていたモニュメントです。

 このことは公式サイトが言及する通り、ジャック・デリダの「存在の亡霊」、あり得たかもしれないが実現しなかった未来やそこに向けて努力した過去が現在を悩ませる、というコンセプトそのものです。この「存在の亡霊」は本作品のサウンドを言い表しているように思います。

 そこはかとなくノスタルジックで切ないところなどまさに亡霊です。音の壁には数多くの亡霊が塗りこめられていることでしょう。 ミニマル・ミュージック、アンビエント、ジャズ、エレクトロニカ、いかようにも分類できる豊かなサウンドを内包した唯一無二の作品です。

Paradise Cinema / Paradise Cinema (2020 Gondwana)



Tracks:
01. Possible Futures
02. It Will Be Summer Soon
03. Casamance
04. Utopia
05. Liberté
06. Digital Palm
07. Paradise Cinema
08. Eternal Spring
(bonus)
09. Eternal Spring Epilogue
10. Digital Palm Reprise

Personnel:
Jack Wyllie : all other instruments
Khadim Mbaye : sabar, tama
Tons Sambe : sabar, tama