マイルス・デイヴィスは「1975年から1980年の初めまで、一度も、ただの一度もだ、トランペットを持たなかった。指一本、触れなかった。」と、完全に音楽活動から遠ざかっていたと言っています。実際にはセッションも少し行われたようですが、本人の意識は完全隠遁です。

 「マン・ウィズ・ザ・ホーン」は1981年7月に発表された復帰第一作です。この時、ジャズ好きの友だちが興奮していたのを覚えています。ただし、手放しで礼賛するというわけでもなく、どことなくぎこちない騒ぎようでした。複雑な思いがあったのでしょうね。

 5年に及ぶ自堕落な生活をしていたマイルスを復帰させた立役者の一人は、姉ドロシーの息子ヴィンセント・ウィルバーンです。ウィルバーンは親族である気安さから、しつこくマイルスに何か演奏しろとしつこく言い続け、ついにマイルスはその気になりました。

 最初のバンドは、ウィルバーンとその友だちが中心になりました。シンセサイザーとギターのランディ・ホール、キーボードのロバート・アーヴィング、ベースのフェルトン・クルーズです。加えて、デイヴ・リーブマンの推薦でサックスにビル・エヴァンスで完結です。

 ややこしいですがこのエヴァンスはあのエヴァンスとは全くの別人です。いずれもマイルスにとって初めての相手ばかりです。長年離れていたという不安もあったでしょうし、丁々発止とやりあった昔の共演者を使うのは何となく気が引けたのでしょうかね。

 しかし、いざ、このメンバーでやり始めると、瞬く間に音楽の世界に引き戻されたマイルスは、じきにメンバーに不満を感じ、昔の仲間アル・フォスターをドラムに据えてバンドメンバーを大幅に入れ替え、アルバムを完成させていきます。さすがマイルスですね。

 新しいメンバーはエヴァンスが連れてきたベースのマーカス・ミラー、プロデューサーのテオ・マセオが連れてきたギターのバリー・フィナティ、パーカッションのサミー・フィゲロアで、居残りはビル・エヴァンスのみです。ギターはやがてマイク・スターンに入れ替わります。

 こうして制作されたアルバムです。まずは一曲目の「ファット・タイム」が感動ものでした。当時すでに売れっ子になっていたミラーのベースがとにかくかっこいい。そして、多くの人が感動したポイントが、ファット・タイムことスターンのヘヴィーなギター・ソロです。

 この頃はフュージョン全盛時代で、ここでのマイルスのサウンドもカラフルなフュージョン・サウンドです。最初のバンドで録音されたタイトル曲などはホールをボーカルにすえたボーカル曲ですし、全体に軽快で若々しくてこれはこれで楽しい作品だと思いました。

 しかし、マイルス本人の演奏は評判がよろしくなく、「オレだって、唇の調子を取り戻すには、時間がかかることくらいわかっていた」と、珍しく弱気の発言をしています。確かにマイルスを追ってきた人の間では賛否両論でしょう。思い入れがない私などにはいい作品ですが。

 なお、マイルスは大々的に復活ツアーを行って大いに人気を博します。日本にもやってきたので日本でも大きな騒ぎになったのでした。本作品もジャズ作品としては大きなヒットになりました。米国ではジャズ・チャートを制したのはもちろん、メイン・チャートでも53位です。

The Man With The Horn / Miles Davis (1981 Columbia)

参照:「マイルス・デイヴィス自伝」中山康樹訳(シンコー・ミュージック)



Tracks:
01. Fat Time
02. Back Seat Betty
03. Shout
04. Aida
05. The Man With The Horn
06. Ursula

Personnel:
Miles Davis : trumpet
Bill Evans : soprano sax, tenor sax, flute
Robert Irving III : synthesizer
Randy Hall : guitar, celeste, synthesizer, vocal
Barry Finnerty : guitar
Mike Stern : guitar
Felton Crews : bass
Marcus Miller : bass
Vincent Wilburn Jr. : drums
Al Foster : drums
Sammy Figueroa : percussion
Angela Bofill's Singers : vocal