昔は幻のレコードというものが沢山ありました。情報もほとんど無いし、見たこともないので、本当に存在するのかどうかすらよく分からない。そんなレコードです。特にユーロ系のプログレものがそうでした。一般的な音楽雑誌には載らないし、そこでも不確かな情報しかない。

 スラップ・ハッピーのこのデビュー盤などは、まさにその幻のレコードでした。学生時代に通っていたプログレの聖地だった新宿レコードにて、壁に飾ってあるのを発見した記憶がかすかに残っています。こうしてCDで手軽に買えるとはありがたいことです。

 スラップ・ハッピーの淵源はイギリス人のアンソニー・ムーアとアメリカ人のピーター・ブレグヴァドがイギリスの寄宿学校で知り合ったことに遡ります。「風変わりな変人で通っていた二人はたちまち大の親友になり、その奇行で学校中の有名人とな」りました。

 ムーアはやがて実験映画の音楽を作る仕事を見つけてドイツに渡り、「アヴァンギャルドの実験音楽家として評価され三枚のアルバムを制作」します。しかし、三枚目はお蔵入りになるなど、あまりに実験的な作品はすぐには受け入れられなかった模様です。

 それでもムーアが見放されないのが当時のドイツのいいところです。ここでムーアは「ディレクターやプロデューサーがしきりに『もっとコマーシャルでポップなレコードをつくれつくれ』と叫んだことが関係して」、「ポップでコマーシャルなグループ」を作ることとしました。

 このあたりの経緯には諸説あるのですが、とにかくドイツに呼ばれたブレグヴァドと、当時、ムーアとつき合っていたドイツ人で、ある程度名の知れた歌手だったダグマー・クラウゼによるトリオ、スラップ・ハッピーが誕生することになりました。伝説の誕生です。

 このトリオを支えたのが、これまたドイツの伝説のバンド、ファウストのメンバーです。そして、ファウストの根城だったドイツの都市ヴュンメの廃校で、ドラッグまみれになりながら制作されたのがこのアルバムです。プロデュースはファウストの黒幕ウヴェ・ネッテルベックです。

 一言で言えば、アヴァンギャルドなテイストのひねくれたポップスです。松山晋也氏はライナーに「60年代アメリカン・ポップスとフランスのイエイエとキャプテン・ビーフハートと初期ピンク・フロイドがいっしょくたになったような、奇天烈なネオ・ダダ・ポップ」と書いています。

 本人たちは至極ストレートなポップのつもりだったんじゃないかと思います。分かりやすいメロディーですし、歌も一本調子ですが、ポップな味わいです。演奏もとても分かりやすい。ブルースのテイストもあったり、ヨーロッパの歌曲的だったりもします。

 しかし、当時は「『気違いトリオ』『何とも言いようのないめちゃらくちゃらの怪作』と評されただけであったらしい」とのことです。風変わりなトリオですから、どうしてもアート感覚があるんです。どこかつんと澄ました魅力があるのですが、一般的な人気は得られそうにありません。

 「エゴイズムと絶望とブラック・ユーモアと底抜けの明るさと音楽へのオブセッションによって成り立っている」と間章氏が評する彼らの音楽の最初の果実は、ポップな意匠にさまざまな方向に突き抜けようとする力が閉じ込められているようです。極上のポップスです。

Sort Of / Slapp Happy (1972 Polydor)

*2012年11月11日の記事を書き直しました。

参照:「スラップ・ハッピー 奇想天外三人組」間章(「さらに冬へ旅立つために」) 月曜社



Tracks:
01. Just A Conversation
02. Paradise Express
03. I Got Evil
04. Little Girl's World
05. Tutankhamun
06. Mono Plane
07. Blue Flower
08. I'm All Alone
09. Who's Gonna Help Me Now
10. Small Hands Of Stone
11. Sort Of
12. Heading For Kyoto
(bonus)
13. Jumpin' Jonah

Personnel:
Anthony Moore : guitar, keyboard, vocal
Peter Blegvad : guitar, sax, vocal
Dagmar Krause : vocal, percussion
***
Gunther Wüsthoff : sax
Daggi : piano, tambourine, woodblock
Werner Diemaier : drums
Jean=Hervé Peron : bass