フォーク・クルセダーズを解散した後、加藤和彦はアメリカに遊びに行っています。当時はまだ1960年代、海外旅行などは夢のまた夢の時代です。「帰ってきたヨッパライ」の大ヒットがあればこその渡米によって加藤はアメリカの風を一身に浴びてきました。

 そして、加藤は帰国後すぐにソロ活動をスタートさせました。まず1969年4月に最初のソロ・シングル「僕のおもちゃ箱」を発表、さらに2枚のシングルが続き、同年12月には初のソロ・アルバム「ぼくのおそばにおいでよ」を発表しました。

 東芝の新興レーベル、エクスプレスから発売された本作品は、加藤本人からレコード会社に対する抗議文をジャケットに印刷するという前代未聞の作品になりました。権威主義がはびこる現在ではとても考えられません。レコード会社も肝が据わっていたものです。

 2枚組にして「児雷也」というタイトルで発表するはずだったにもかかわらず、一枚となり、「LPにとって一番重大であるアルバム・タイトルを勝手に変更し、おまけに数曲カットし以前シングルで出した曲を水増しにいれるなどという事」に抗議は向けられています。

 「作者の意図を全く無視し、かつ聴者をも馬鹿にした行為」であり、それが「小生の同意なくして販売会議とやらで決定された」ことに怒りが向けられています。まだ学生運動も華やかなころのことですから、こうした若者の反抗めいたものは世間の大好物でした。

 タイトルになっている「ぼくのそばにおいでよ」はアメリカのシンガー・ソングライター、エリック・アンダーソンの曲をカバーしたもので、「以前シングルで出した曲」です。フォークのアルバムとしてはもっとも通りのよい曲ですし、タイトルですが、本人は不本意だったのでしょう。

 というのも、アルバム全体はフォークにとどまらず、ロックやジャズ、ラテンの要素が詰まっており、その後に展開する加藤の音楽世界の種が胚胎しているのです。演奏しているミュージシャンも「純粋スタジオの人っていないんだよ。変な人ばっかり。奇人変人クラブだよね」。

 演奏しているのはジャックスの木田高介やつのだひろ、柳田ヒロに深町純、チト河内とクニ河内兄弟など、日本の音楽界に重要な足跡を残すことになる人ばかりです。さらに劇団黒テントの佐藤信や、天井桟敷の寺山修司の詩も使われています。濃いです。

 加藤自身は本作品について、「例のヒッピーの世界から帰ってきた後だから、カルチャー・ショックと、日本の自分がいままでやってる音楽と、カオス状態のときにできたやつだから、なんか不可解なもんですよ。あのアルバム。」と語っています。

 俗謡中の俗謡「タヌキ」であっても、反戦歌である「13番街のおもちゃ屋」でも、あのねのねのような「ネズミ・チュウ・チュウ・ネコ・ニャン・ニャン」でも、加藤は同じ熱量、同じ質量で歌います。そして、アレンジも歌詞に引きずられることがありません。ノンポリの極み。

 加藤の作り出す音世界は、ヴァン・ダイク・パークスやマーティン・デニーのようなアーティストを彷彿させます。どこか浮世離れした世界が描き出されていて、当時の日本のフォーク・シーンとは一線を画した超然とした作品です。加藤和彦は最初から凄かった。

Come To My Bedside / Kazuhiko Kato (1969 Express)

参照:「エゴ 加藤和彦、加藤和彦を語る」牧村憲一監修(スペース・シャワー・ブックス)



Tracks:
01. 僕のそばにおいでよ
02. 日本の幸福I
03. 日本の幸福II
04. 日本の幸福III
05. だいぜんじがけだらなよさ
06. タヌキ
07. 9月はほうき星が流れる時
08. ネズム・チュウ・チュウ、ネコ・ニャン・ニャン
09. アーサーのブティック
10. ひるねのミカ
11. ゼニフェッショナル・ブルース
12. 13番街のおもちゃ屋
13. 僕のおもちゃ箱

Personnel:
加藤和彦
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柳田ヒロ
木田高介
つのだひろ
神谷重徳
深町純
チト河内
クニ河内