フォーク・クルセダーズは「ハレンチ」を持って解散する予定でしたが、学校封鎖のおかげで1年間余裕ができた北山修が加藤和彦に「加藤、一年やろう」ともちかけ、1年間限定で、しかも今度はプロとして活動することになりました。いかにも学生のノリで、軽くていいですね。

 それも「帰って来たヨッパライ」によってレコード会社からプロ・デビューの誘いを受けていたからこそです。「帰って来たヨッパライ」は東芝から発表されて200万枚を超えるヒットになったわけですから、レコード会社もほくほくですね。理想的なデビューです。

 プロになった時のメンバーは、加藤、北山にはしだのりひこの三人で、一般に知られているフォークルはこの3人組です。当時、小学生だった私は「帰って来たヨッパライ」を歌っているこのトリオの後継者があのねのねだと長いこと思っていたものです。

 「帰って来たヨッパライ」の大ヒットの後、フォークルはテイストの異なる「イムジン河」を第二弾シングルとすることを希望します。しかし、朝鮮半島の南北双方からクレームが入ったことから、東芝は発売を見送ってしまいました。何かと難しい時代でした。

 代わりとなったシングル曲が「悲しくてやりきれない」です。「『イムジン河』のコード全部書いて、それを逆からたどって。そのまま曲作ったんだよね」という楽曲です。そこに著名な詩人サトウハチローが詞をつけた。これはまた素敵な曲で、彼らの代表曲と言っていいでしょう。

 続くシングルはズートルビーの変名で発表した、当時のカレッジ・フォークを皮肉ったような「水虫の唄」です。懐が深いというか何というか。そうしてようやくデビュー・アルバムとなる本作品「紀元貳阡年」の登場です。映画を模した秀逸なジャケットでした。

 アルバムには、「イムジン河」は含まれていませんが、「帰って来たヨッパライ」も「悲しくてやりきれない」も収録されています。さらには変名を使ったにもかかわらず、当たり前のように「水虫の唄」とそのB面曲「レディー・ジェーンの伝説」も含まれています。

 自主制作盤「ハレンチ」に比べるといかにもメジャー仕様になっています。やはり機材が充実しているのでしょうね、サウンドがプロ仕様です。しかし、「帰って来たヨッパライ」は同じ音源のようで、この曲のスタジオ・ワークがいかに斬新だったかが分かるというものです。

 後の加藤ワールドを予感させる「オーブル街」ではサウンド・コラージュなども加えており、恵まれた環境を使いつくそうという意思が感じられます。アルバムまるごと「リボルバー」なのでしょう。工夫と実験と諧謔と抒情と民謡に童謡と、すべてがつまっています。

 しかし、「帰って来たヨッパライ」の続編「さすらいのヨッパライ」などは、いかにもレコード会社の発想です。フォークルには当時プロとしてやっていくという意識は全くなかったようで、こうした要請も特にこだわりなく受け入れたのかもしれません。面白いバンドです。

 当時は私も幼かったので分かりませんでしたけれども、その後も本作品が高い評価を得ていたという話は聞きませんでした。しかし、時は流れて21世紀になると高い評価は確立したようで、サエキけんぞうなどは、「日本のサージェント・ペッパー」だと呼んでいるようです。

Kigen Nisennen / The Folk Crusaders (1968 東芝)

*2013年11月18日の記事を書き直しました。

参照:「エゴ 加藤和彦、加藤和彦を語る」牧村憲一監修(スペース・シャワー・ブックス)



Tracks:
01. 紀元弐阡年
02. 帰って来たヨッパライ
03. 悲しくてやりきれない
04. ドラキュラの恋
05. 水虫の唄
06. オーブル街
07. さすらいのヨッパライ
08. 花のかおりに
09. 山羊さんゆうびん
10. レディー・ジェーンの伝説
11. コブのない駱駝
12. 何のために

Personnel:
加藤和彦
北山修
端田宣彦